豊川山岳会

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アンナプルナBCトレッキング

      2015/02/22

★ 山行名 【アンナプルナBCトレッキング】
★ 年月日 【1999年4月24日~5月6日】
★ メンバー【宮尾、河合、山本、福地、上田】

ゴールデンウィークを利用してネパールトレッキングに行ってきました。ネパールは全員
初めてでしたが、楽しくまたちょっとスリリングな旅を楽しんできました。
良い天気続きで空気中のほこりのため遠見は利きませんでしたが大パノラマを楽しんでき
ました。まず概要を記します。

<行程の概要>
4月23日 豊橋駅より夜行バスで東京へ出発
4月24日 11時のタイ航空便でバンコクへ(15時30分着:所要6時間半)バンコクのホテル泊
4月25日 10時30分のタイ航空便でカトマンドゥへ(12時35分着:所要3時間20分):装備
等調達
4月26日 8時40分のNECON AIR便でポカラへ そのままタクシーで登山口ナヤプル(1100m)
へ移動。(所要35分) 今回はガイド・ポーター無しのロッジ泊り。ガンドルン(1940
m)までの登り。晴れ、ひたすら暑かった:行動6時間
4月27日 モディ・コーラの右岸のアップダウンでチョムロン経由でシヌワ(2350m)まで。
晴れ、この日も暑かった:行動8時間半。
4月28日 モディ・コーラ右岸沿いにデウラリ(3150m)まで。晴れ:行動7時間半。
4月29日 マチャプチャレBC経由でアンナプルナBC(4100m)まで。晴れ:行動6時間。
4月30日 朝ゆっくり展望を楽しみヒマラヤホテル(2800m)まで下山。晴れ後雨(雹):
行動4時間。連日の晴れ続きで空気中の塵のためクリアーさは今一つであったが、ヒ
マラヤの雄大さを楽しむことができた。
5月 1日 のんびりと同ルートを下山。チョムロン(2150m)まで。晴れ後雨(雹):
行動5時間。
5月 2日 同ルートをガンドルンまで。晴れ:行動5時間20分
5月 3日 同ルートをナヤプルまで。晴れ一時小雨:行動4時間20分
5月 4日 早朝、バスでポカラへ、11時25分のNECON AIR便でカトマンドゥへ:市内観光(ダ
ルバール広場)と買い物
5月 5日 午前中観光(チベット仏教寺院:スワヤン・ブナート) 13時40分のタイ航空便
でバンコクへ(18時10分着) トランジットで同航空23時10分の便で東京へ
5月 6日 成田 7時30分着

<ネパールトレックのショートガイド>
1) 適期:
雨季は5月末から9月、山は見えないが花を見るのは良い時期。
晴れてなおかつクリアーなのは10月から1月、但し寒気が厳しく4000mの高さでも日本
の冬山に近い寒さと思われる。積雪対策や今回のアンナプルナBCのアプローチ(ヒン
クー~マチャプチャレBC間)のような積雪斜面がルートになる場合は雪崩れも要注意。
5月のGWの時期は晴天は多いが一般にクリアーではないようだ。また標高が低い所で
はかなり暑い。いい写真を撮りたいなら秋から冬がベター。

2) 山域:
ネパールヒマラヤではアンナプルナ山群、クーンブ山群(エベレスト)、ラン
タン山群の3つが宿泊施設が充実している。防寒着と寝袋など軽量装備だけで入山で
き、慣れればガイド・ポーター無しでも可能と思われる。中でもアンナ山群は高山病
の心配もほとんど無く往来も多い。「世界一美しい谷」と賞賛されるランタン谷は静
かで人は少ないらしい。クーンブは奥まで行こうとすると高山病の心配が出て来るよ
うだ。初めてであればアンナ山群がお勧め。日程に応じてコースも幾つか取れる。 こ
の3つの山域以外は基本的に宿泊施設は乏しく、従ってテント、燃料、食料を持参し
た山行になる。英語やネパール語させ通じないエリアもあるので質の高いガイドが必
要と聞く。

3) 費用(アンナ山群の場合):
1ネパールルピー(RS)は約2円(1999/4現在)でロッジ
の宿泊は小屋の立地高度によらず一人RS40(3人以上の部屋)~50(2人部屋)。
マット付きのベッドで大抵部屋を施錠できる。シャワーもある(高度が低い所は天火
のホットシャワー)。食事代は標高が低いところで夕朝で一人RS500あれば贅沢に飲
み食いできる。高度が上がっても一人RS700~800。
<旅行費用詳細>
★日本の旅行社への支払い:株式会社アドベンチャーロード(03-5261-1707)
・ 国際線航空運賃 :タイ航空 エコノミー :¥135000
・ 現地手配料 :¥ 38100
ホテル送迎、カトマンドゥホテル一泊、ポカラ航空運賃、
トレッキング・パーミット、国立公園入園料、手配料
・ 旅行保険
★現地での消費:以下の費用で一人当たり\40000程度
・ タイ:一泊5人でUS$180
・ ネパール:カトマンズ滞在(帰り1泊1人):$60程度
:トレッキングの宿泊費+食費:7泊5人ででRS25000
:土産:\25000(上田)
★ 日本での交通費(夜行バス、新幹線、成田エクスプレス、食事):\20000
★ 以上トータルで233000円程度

○ タイ
・ 1バーツ≒3円
・ 両替:100US$=3665B(上田)+US$80(河合) これで5人分
OK
・ 空港からバンコク市内までのタクシー :370B(1台)
・ 夕食:タイスキ5人分 :1500B
・ ホテル代:中くらい ☆☆ :1170B(ツイン1部屋)
・ 空港使用料:一人 :US$50
○ ネパール
・ 1ネパール・ルピー(RS)≒2円
・ 両替:US$250≒RS16787
・ 昼食:カトマンドゥでステーキ(5人分) :RS2200
・ ネパールへ入国ビザ :RS1000
・ 国内便空港使用料 :RS100
・ タクシー1台(カトマンドゥ空港~タメル地区) :RS100
・ タクシー1台(ポカラ~ナヤプル) :RS1000
・ 路線バス(ナヤプル~ポカラ) :RS50
・ ロッジ宿泊費(素泊まり、ツイン1人あたり) :RS50
・ ロッジ宿泊費(素泊まり、3人部屋1人あたり) :RS40
・ カトマンドゥ宿泊:ホテル・マナン(朝食付き) :$35
・ トレッキングロッジ:夕食+朝食(一人一泊) :RS500~800
・ 地図 :RS250~500
・ ブタンガス一個 :RS450
<参考情報>
○書籍 *は上田所有
*地球の歩き方 (28)ネパール :ダイアモンド社(歩くための情報満載)
*ネパール・ヒマラヤトレッキング案内:山と渓谷社(ルート別ガイド、写真多数)
*ヒマラヤの自然誌-ヒマラヤから日本列島を遠望する/酒井治孝編著:東海大学出
版会 (ヒマラヤの自然、民族、動植物:多数の参考書籍リストあり)
・世界山岳地図集成:ヒマラヤ編(地図、登山史、写真):学研
・アンナプルナ周遊/内田良平著:山と渓谷社
・ネパール-暮らしがわかるアジア読本:石井 :河出書房新社
*ヒマラヤ冒険物語/クリス・ボニントン著、田口二郎訳:岩波書店
*海外登山とトレッキング/敷島悦朗著:ヤマケイ登山学校21
* The Trekking Peaks of Nepal /Bill O’connor著:CROWOOD社
・心やさしきネパール/中沢 :山と渓谷社 (怪しい探検隊のメンバーによるトレ
ッキングエッセイ:ゴレパニ、ムクチナート)

○ビデオ
・ ヤマケイビデオガイド:アンナプルナ、クーンブなど
○インターネット ホームページ

以下、詳細の記録と感想を記します。

<準備>
99年の2月初め、冬山合宿が終わってちょっと中だるみだった頃、宮尾君がGWのプラ
ンを打ち出してくれた。私にとって最初の東アフリカ旅行(96年の年末)から2年、来年
位にははどこかへいきたいなあと思いながら具体化できずにいたので、これ幸いとばかり
今回も乗っからせてもらうことにした。メンバーは宮尾、福地がまづ決まり、河合、上田
も家庭との折り合いをつけて何とか決まり。海外の山が初めての山本さんも休みをやりく
りして都合がついた。賑やかな旅になりそうである。
さてルートの選択が若干検討を要した。できれば4/24-5/9でエベレスト街道をと目論ん
だが、若干日数が足りない。現地の飛行機が飛ばないなどのアクシデントがあったら足り
ない。また、上田と山本さんの休みは5/9までは苦しく、5/5か5/6で押さえたい。緒事情
を考慮して今回は無理の無い行程でカバーできるアンナプルナBC往復に決定(2月中旬
頃)。 渉外担当の宮尾君に旅行社((株)アドベンチャーロード)にあたってもらい、チ
ケット(タイ航空)、トレッキング・パーミット、カトマンドゥの初日のホテル、旅行保
険などをキープしてもらった。アンナプルナ山群はエベレスト街道と並んで宿泊施設も十
分にあってルートもはっきりしているということでガイド・ポーター無しで行こうという
ことに決まった。

<行動記録>
4月23日
各自仕事のやりくりを済ませ、10時過ぎには豊橋駅に集合。夜行バスを待っていると、食
事会帰りの日比野さんにばったりと出くわす。「これからネパールだよ」、「え? うっそ
う!」ということで思わぬ見送りを受け、東京行の夜行バスに乗り込む。夜行バスは久々
だが、飛行機よりは広くて快適である。一杯引っかけてうとうとする。

4月24日
6時前に東京駅に着く。腹ごしらえということでファーストフード店に入る。こんなに
早くても東京では用事のあるところには人が集まる。店は盛況である。7時30分の成田エ
クスプレスに乗り、快適に成田空港に入る。今回はガスカートリッジなど問題のあるもの
は一切無いのでバゲッジチェックもノープロブレム、スムーズに進む。トレッキングらし
き様子のお客もちらほらいる。女性の単独で5月9日まででエベレスト街道へ、という人が
いたりなかなか大したものである。
11時のタイ航空便 TG641に乗込む。飛び立ってしばらく雲の中だったので結構揺
れたが問題なし。機内食はチキンヌードル、すし、そば、デザート。みんなここぞとばか
りアルコール類を請求。山本さんも本領を発揮、ビール、ワインから始まってウイスキー、
ブランデーと1通りこなす。恐るべし、我が代表!! 15時30分頃、バンコクへ無事到着。
所用時間6時間半。気温は32℃、曇り。
河合と私の2人だけ、必要と思われるだけ米ドルをタイの通貨バーツに替える。空港の
電話で直接今日のお宿をキープしようとトライするが掛け方がまずいのかつながらず、空
港のホテル案内のおねえさんに予算を言って予約してもらう。隣りで自分の用事を済ませ
ていた華僑風のおじさんが突然日本語で「ここで予約していった方が確実で、割安ですよ」
とアドバイスしてくれる。2人とも親切で一気に緊張が和らぐ。ツインで1部屋1170バー
ツ(1バーツは約3円)を2部屋、936バーツのシングルを1部屋キープする。
タクシーで空港からバンコクの中心部へ移動。高速代、70B含め1台370BX2台。ホテ
ルのボーイにはチップを10B。
一息ついて5人で町へ繰り出す。インド・ムンバイよりはるかにきれいで違和感が無い。
一昔二昔前の日本の夏の夕暮れといった感じである。むしろ今の日本の夕暮れよりはゆっ
たりした感じすらする。日曜日ということもあって子供達は外のちょっとした広場でサッ
カーをしている。国立競技場の隣りではお家芸(国技?)のセパタクローの試合が行われ
ていた。結構ハイレベルらしい試合が2コートで行われていた。狭いながら観客席もあっ
て華やかな雰囲気で夕涼みがてらしばらく観戦する。アジア大会の余韻が残っているのか、
もともとスポーツ好きなのか、ゆとりが感じられていい雰囲気である。隣りには焼き鳥屋
の屋台があっていい匂いが漂っていたり、焼きバナナを売っていたり、喧騒の中にものど
かさが感じられる。
商店街をぶらついた後、夕食の場を探す。タイスキでいこうということでガイドブック
から「広東」とかいう専門店を見つけ出し、アプローチ。結構歩き回ってお腹が空いた。
中に入ると中華料理店風でテーブルの鍋を囲む家族が多い。日本人と思われる観光客もち
らほら。
まず1人の給仕さんがついてくれた。英語が分からない様子だったが、ちょっと困った
様子がどこか奥ゆかしくてみんな気に入る。最初オーダーの仕方が分からなかったが、メ
ニュー(写真付き)を見ながら適当に頼む。日本の「寄せ鍋一式」みたいなセットメニュ
ーは無い。肉類、野菜類、麺類等、いろいろと2人前ずつ位頼む。何と最後にご飯でおじ
やもある。ここでもう1人、英語が分かるらしい慣れた給仕さんが登場。出てきた材料を
鍋に入れてくれ煮えたら器につけてくれる。こちらは随分気さくな感じで楽しいおねえさ
んである。全て日本人にも違和感が無いうす味・適量でタイスキを楽しめた。たらふく食
べて5人で1500B也。
帰りは遠いので昔のオート三輪風の「トゥクトゥク」に乗る。値段交渉して2台で140B。
これでもにいちゃんはほくほく顔だったのだろう。ホテルまで強烈にカーチェイスを楽し
ませてくれた。

4月25日
早めにホテルで朝食を済ませタクシー2台で移動。空港使用料、1人500Bを払い搭乗手
続きを済ませ、10時30分のタイ航空便 TG319に乗込む。所要時間3時間20分と短いが
昼食が出て、例によって一通りのアルコール類を頂く。恐るべし!
カトマンドゥへ12時35分着。ビザ申請で列に並ぶ(1人15US$)。各自200$程度ネパ
ールルピーに両替をする。この間結構時間がかかる。
外に出ると乾燥はしているが暑い。現地旅行社の「Ankur」のSakhyaさんが待っていて
くれた。比較的まともなワゴン車に乗って埃の多いカトマンドゥ市内へと移動。もう1ヶ
月も雨が降っていないとのこと。廃棄ガスも手伝って遠くの山は全く見えない。2年前の
インド程のショックは無いが聞いていたように町は決してきれいではない。がれきがその
ままになっていたり、ゴミだめがあったり目を覆いたくなる。行政の方で清掃する予算が
無いというのが実状のようだが、主にネワール人の多いカトマンドゥでは個々人の責任で
清掃する習慣が無いというのも一因のようだ。ネパール国内の多くの民族(部族)の中で
ヒンドゥ教徒のネワール人の中では、いわゆるカースト制があって、清掃は下層の特定の
カーストの仕事であってその他のカーストの人々には清掃の習慣が無いという。
予約してあったホテル マナンに着くと別世界である。静かできれいで涼しい。Sakhya
さんと簡単な打ち合わせをして、トレッキング・パーミッションを受け取る。帰りのカト
マンドゥのホテルをどうするか等については夕方再度打ち合わせすることにする。後で判
ったのだがトレッキング・パーミッションの期間が4/26-5/2の7日間になっており、我々
の予定の5/3までカバーしていなかった。どうも日本のアドベンチャー ロードの手違いの
ようだと思われる(エリアから出る時は事実上ノーチェックのためか?)。
この後、町へ買出しに出かけた。買うものは地図とブタンガスカートリッジ2個。地図、
トレッキング関係の本、絵葉書、ポスターなどを扱っている店や登山用品店はホテルの近
くのタメル地区にたくさんある。地図はあらゆる山域のものが出ているが縮尺1/125,000
位のものが多い。聞いてみると1/50,000位のものもあるのでアンナプルナ山群で両方を入
手。カートリッジは日本製、ヨーロッパ、アメリカ製のものはあまり無い。あっても古そ
うで信頼性が心配なので何軒か見て韓国製のEPIタイプのものを購入。1個、RS400と高
い。遠征隊が良く使うところを探せば安くて数が揃うのかも知れない。
お土産ものは戻ってきてからということで見るだけ。夕食はステーキを食べようとい
うことでステーキハウスに入る。店の中も出てきたものもスマートではないが、ボリュー
ムだけはある。5人でRS2200。帰りにスーパーマーケットでミネラルウォータ(RS35)等
を買う。
夕方、再度Sakhyaさんと会って、パスポートと航空券をトレックの間預けることにし、
また帰りのカトマンドゥでもこのマナンに泊まることにする。この場合日本の旅行社のコ
ミッションは入らず、現地のコミッションだけでツインでUS$35(行はUS$55)とかなり
安くなっている。不要な荷物も預けられるし、Sakhyaさんの方でもコミッションを取れて
気持ち良くパスポートを預かれ、give&takeというわけだ。

4月26日
6時起床、朝食の準備の手間がかかって7時からコンチネンタルの朝食。不要な荷物をま
とめて2個ホテルに預けて、ポカラ行きの便に乗るため前日にタクシーを2台用意してもら
って7時半に出発する。1台RS200としたが結果的には払い過ぎ。空港までRS100でも十分行
ってくれる。軽ワゴンのような車だと荷物も5人分つめて1台でOKのようだった。市内のタ
クシーを見ていると人数制限お咎め無しのようだし、河合の推測では道路交通法なるもの
が無いんじゃないの?、ということになる。空港への道中は丁度通勤・通学時間帯で人々
が忙しく歩き、自転車に乗ったりして移動している。
国内線の手続きで1人RS100ずつ払う。X線チェックは実質やっていそうに無い。Baggage
の手続きが済むと待合室は1つ。Royal Nepal, NECON Air, Buddha Air, Iety Airなど各
航空会社の便の搭乗のたびに各会社のシャトルバスが横付けされ、お客を載せていく。掲
示板も何も無しで各会社の女性(スチュワーデスとは別)が呼び込みをするだけ。近くに
居ないと乗り過ごしてしまいそう。会社ごとに案内の女性の顔つきが違う。NECON Air は
アーリア人(インド系?)、Iety Airは日本人と同じモンゴリアン(多分、仏教徒のタマ
ン族やグルン族系か?)。山本さんが案内の女性に向かってしきりとシャッタを切ってい
る。みんなの大方の意見としてIety Airのおねえさんがいい、ということで落ち着く。
8時40分のNECON AIR便が10分あまり遅れて離陸する。30人乗り位の双発のプロペラ機
である。日本人は我々だけである。私は皆と離れて現地の女性と隣りになる。ポカラへ仕
事で行くという。機内で英語で書かれた数ページの資料を読んでいた。ホワイトカラーに
位置する人という感じだった。
機内からは最初、里山が見えていた。日本の里山とは違って谷底に集落があるというよ
りは尾根上や斜面に集落が見えた。水の確保や移動が大変な気がした。相変わらず霞んだ
状態で遠くの山は全く見えない。35分程でポカラに到着する。空港は平地にあるので滑走
路は十分な長さを持ち着陸も不安は無い。標高はカトマンドゥ1388mよりやや低く900m
だが、外は思ったよりは暑くない。ただ日差しは強烈である。白い山は残念ながら望めな
い。ザックを回収して小さな空港の建物から1歩出ると、わっとタクシーの客引き数人に
囲まれる。ナヤプルまでだと1台RS1000だとか、RS800だとか、2台で1500だとか口口にア
ピールしてくる。近くに止まっていたバスに聞くが乗合バスのバス停は遠いとのこと。時
間的にも稼ぎたいのでタクシー2台には決めるが、しばし値段交渉。2台でRS1000のところ
に落ち着き乗込む。この間10分ほどであったろうが外国旅行では日常茶飯事でも日本では
慣れない種類の緊張感で長く感じる。
タクシー2台に乗込み登山口ナヤプルへ向かう。相変わらず埃っぽいながらカトマンド
ゥより遥かにのどかな市内を抜け、白濁した氷河の水が流れるセティ・ガンダキ川沿いに
進む。ここは河岸段丘が発達していて面白い地形である。日本だと段丘の斜面に擁壁を作
ったりしているのがここは自然の状態のままなので段丘だというのが良く分かる。アンナ
プルナ南面への尾根越えのアプローチ、フェディを通り過ぎるとハイウエイは斜面をぐん
ぐんと高度を上げ、チャンドラコットあたりで1600~1700mまで上がる。山腹や尾根上に
のどかな集落が広がる。タクシーのドライバーがご機嫌でいろいろ説明してくれる。往復
60Kmの道のりだそうで、ガソリン代がRS300かかるとか言って1台RS500の正当性を訴え
ているが、つい口をすべらせて賃走での基本料金1km RS10というのをしゃべってしま
う。それでも観光客向けの妥当な料金ということで納得する。再び高度をぐんぐんと1100
mまで下げ、1時間あまりで11時20分にナヤプルに着く。バッティが数軒並んでいる。こ
の内の1軒に帰りに大変お世話になろうとはこの時は思いも寄らなかった。
11時30分、いよいよ出発。モディ・コーラ(谷)の支沢を隔てたナヤプルの元村に向け
て50m位の斜面を下っていき、次にモディ・コーラ沿いに進む。30分程の歩きで立派な吊
り橋を渡るとトレッキングパーミットの第1のチェックポイントACAP(アンナプルナ自然
保護地域プロジェクト)の事務所、兼、KMTNC(マヘンドラ王自然保護財団)の事務所が
ある。ここではパスポートは必要無く、各自のトレッキングパーミットだけでいいが、浅
田さんがアドバイスしてくれて事前に作っておいた全員のリストも一緒に提出しスムーズ
に処理が進んだ。通過12時。
ここがゴラパニとの分岐になっている。アンナBCへは、川沿いにしばらくすすんで左
に折れ少し上がると三叉路で正面に小さな学校がある。ここを右に取るとモディ・コーラ
右岸沿いの本道に出る。現地の見取り図もある。
それにしても暑い。真上に近い角度で日差しがじりじりと照り付け、気温も30℃を越え
てしょっぱい汗がだらだらと湧き出す。途中水場(といっても飲むのは危険)で小休止し、
14時に尾根の取り付きの村、シャウリ・バザールに着く。早くも瓶入りのジュースで喉を
潤す。コーラ、ファンタ、スプライトがありいずれもRS35、ミネラルウォータはRS50。
尾根に取り付き小さなバッティが点在する中を少しずつ高度を稼ぐ。ここからガンドル
ンまではトラバースを含め約800mの登りである。周りは広大な棚田、段々畑が広がる。
今回歩いた経路では集落の大きさに比べこのあたりが最も棚田の面積が広かった気がする。
作物は雨季(5月中~9月)を前にして作付けされていない所がほとんどだが、山の奥へ行
くほど若干早いようでトウモロコシ、ジャガイモが多い。キムチェ手前のバッティで休ん
でいると家の主人と思われる若い父親が声をかけてくる。ポーター・ガイドがいなくて大
丈夫か? しばらくしたら(2~3時間後なのか2~3日後なのか判然としないが)雨が降る
よ、とかいろいろと心配してくれる。奥さんと子供も軒先で一緒に憩う。
再びガンドルンに向け歩き始める。急登が終わる頃キムチェに入る。キムチェは観光地
化されていなくて農業を中心とした生活がそのままある素朴な村。垢抜けたロッジなどは
無い。ここからガンドルンまではスレートを敷き詰めた石畳の道が延々と続く。キムチェ
の村の外れで道が崩壊していたが通過できる。役牛がつないであったり日本の昔の田舎(私
が子供の頃位までは実家の近くもそうだった)が思い起こされる懐かしい光景である。道
の上にはロバ君やウシ君の糞が堂々とあって匂いを発しているがそれもじきに慣れる。適
当によけながら歩けば良い。
途中、チョータラ(重荷を置くための石段)で休んでいると3人の年配の女性が荷を担
いで上がってきて同じチョータラに荷を置いて休む。40才台~60才位だろうか。ちょ
っと持ってみるとしっかり30Kgはある。試しにやらせてというと笑いながら快く引き
受けてくれる。例のベルトを額に当ててまず宮尾がトライするがきつそうでまともに上が
らない。こうやるんだよと一番若い(私と同じくらいか? 精悍な顔付き)ポーターが担
いでくれる。継ぎは河合、割と余裕で立ち上がり歩く。私にもやれということでやってみ
るが何とか持ち上がるが首がおかしくなりそうである。暑さで中だるみだった行程に楽し
みを与えてくれたひとときだった。
トラバースが終わる頃ガンドルンのウエルカム・ゲートが飛び出すと村の入り口である。
ここはチョムロン、ランドルンと並んでグルン族の多い村。グルン族はイギリス連邦の傭
兵・グルカ兵として南部戦線で活躍し、ヘミングウエイの小説や昔のヒマラヤ遠征隊のリ
エゾンオフィサーなどでも出てくる。また今も外貨の稼ぎ手として重要な位置を占めてい
るとか。退役したあとは年金等を活用して町で事業を起こす人も多いという。
ガンドルン(標高約1940m)着17時30分。行動6時間。
村に入ってACAPの事務所の方へは行かずに左へとって小さな橋を渡っていくと階段沿い
にたくさんのロッジが建っている。まずガイドブックにも載っている「さくらホテル」が
目に付いた。その前でACAPの出張所が設けられていて2回目のチェックを受ける。結局行
きの道中ではこの2個所であった。鷲見君お勧めのMountain View Lodgeの場所を尋ねると
指呼の距離に見える。門もしっかりあるこぎれいなロッジ。眺めも良さそう。最初人影が
無さそうな感じだったが1人の青年が出てきてくれ部屋を見せてくれる。隣同士の3人部屋
と2人部屋で部屋代は3人部屋が1人RS40、2人部屋が1人RS50で日本人にとってはただ同然
の値段である。個々にベッドがあってマットと枕が置いてある。ホットシャワーもあると
いうことで順番に大汗を流す。トイレは手動式水洗というやつでバケツに水を汲み置きし
てあって1リットル位の容器が置いてあるのでこれに水を汲んでザバッと流す、という仕
組み。いかなるチリも便器に捨ててはならぬ、というメモ書きがあってごみ箱に捨てる。
これより上のロッジもすべてこのやり方であった。
さっぱりした後、早速庭のテーブルについて乾杯。汗をかいた後のビールが最高にうま
い。銘柄は2種類くらいあったが TUBORGが定番となる。メニューから最初のトライという
ことでロール(揚げパンのようなもの)やチベット風のモモ(餃子)などなどいろいろ頼
むがインディカ米の焼き飯(Fried rice)がおいしい。山本さんはロキシー(地元の蒸留
酒)にチャレンジ。みんな一口づつトライするがこのロッジのは特に煙りっぽい。それで
も山本さんは頼んだコップ1杯のほとんどをやってしまう。代表、恐るべし。
いい調子になって早めにベッドにもぐる。

4月27日 トレッキング二日目
朝5時半、山本さんの「マチャプチャレが見えとるよ」のお告げで目が覚める。2階の
部屋から出てベランダから北を見ると正面にアンナプルナ・サウス7219m、ヒウンチュリ
6441m、右にモディ・コーラを隔ててマチャプチャレが大きく見える。昨日は霞んでいて
日中は全く見えなかったのだが予想以上に大きい。5:40ごろにはまづサウスがサーモンピ
ンクに染まりだした。6時過ぎにはかなりの部分に日が射すがマチャプチャレは南西面し
か見えないので日が当る雪面がこちらからは見えず、逆光でいま一つである。太陽が見え
出すと空気中の塵のせいで光線が強烈な光りの筋となって逆光の山をほとんど覆い隠す。
雨の少ない雨季の前のトレッキングはこの傾向が強そうで残念である。
6時半頃からメニューで朝ご飯をオーダーするが少人数でやっているせいか時間がかか
る。隣りのテーブルでは単独の西洋人の若い女性がひたすら読書をしている。昨夜のうち
に頼んでおいたのか早めに簡単な食事を取ってさっさと行ってしまった。
ロッジのおにいさんにルートを確認する。当初予定していたニューブリッジへ下り、
ジヌー方面からチョムロンに上がるコースはチョムロンまで2日かかるとのこと。キムロ
ン経由だと5時間ということでこちらを行くことにする。山を見ながらゆったりと朝食を
済ませ、8時10分に出発する。5人でRS2600。
ルートはロッジの上を通っている。山腹をトラバースして行き、川の手前でゴレパニ
との道を分ける。民家の前で一本立てていると子供達が寄ってくる。「picture」、「sweet」
と声をかけてくるが断って別の話をする。聞いてみると、小学校2年生でワンピースを着
た女の子。シャツなしで大人の古ぼけたブレザーと帽子を付けた1年生の男の子、それに
2才くらいのはだしの女の子?。そうこうするうちに私のめがねに興味を持ったらしく掛
けさせろという。大きい子から順番に掛けると不思議そうなうれしそうな顔をする。2才
の一番おちびちゃんも私もという。どこの国でも子供はかわいいもの。本来の子供らしさ
をこの子達は持っている気がした。
キムロンへはだらだらの登りだが早くも日射が強く汗が噴き出しゆっくりと進む。途
中10頭余りのロバ隊と出会う。最初の5頭は何故か頭に赤や白のあでやかな房をつけたり
胴体を絨毯のようなものや鈴で飾り立てていて荷物は担いでいない。何かお祭りでもある
のだろうか? 後ろのロバ君は南京袋に入れたトランク大の荷物を4つも担いでいる。最後
尾からはロバ追いが1人着いている。
キムロン(2160m)に9時35分に着きすぐジュース、となる。ここで募金を依頼される。
このあたりガンドルンやこのキムロン、チョムロンなどは電気がきているが周辺の小さな
集落にはまだ来ていないとのこと。その整備のためとのことだ。まとめてRS50を寄付す
る。
さあ、これからキムニュ・コーラに400m下り、チョムロンに向け400mの登りである。
対岸の斜面が日射を受けて暑そうである。途中1軒のバッテイがある斜面を下ると支流に
水場がありポーター達が休憩している。谷まで下りキムニュ(1800m)のロッジの庭先で
休む。10時45分。重い腰を上げて集落の間の斜面を上がっていく。途中から樹林の中に入
るがそれでも暑い。みんなゆっくり歩く。特に福地君はビスターリで途中休憩していても
なかなか現れない。直登が終わってトラバースに入るとタダパニ、ゴレパニ方面への分岐
がありすぐにバッテイが1軒ある。近くに水も引いてあって使えそうなのでジュース休憩
とし、今回初めてのラーメンを作る。食べていると店の子供が何か訴えてくる。最初判ら
なかったがどうもネパールのインスタントラーメン「LaLa」と日本のラーメンとを交換し
て欲しい様子。河合が交換してあげると喜んで持っていった。おっかさんらしき人が今日
はどこまでと聞くので、バンブーと答えると、とんでもない、チョムロンかせいぜいシヌ
ワまでだよと鼻で笑われてしまう。この時はバンブーまで行くつもりでいたが連日の暑さ、
おっかさんの言う通りになる。(休憩12:05-13:05)
また数日後ここへ戻るよと言い残して先へ進む。ここからは概ねトラバースで負荷は
は少なくチョムロン手前の尾根を回り込む位置タグルンに着く。13:40。ジヌー方面から
ここへ上がって来られるが確かに急登でアルバイトが大きそうだ。
このあたりで韓国の女性の単独の人と行き会い言葉を交わす。後から聞いた話だが、
仏教の尼さんでポカラで行事があってついでにアンナプルナBCまで行くとのこと。ガイ
ド、ポーター無しでしかもデイパック1つという装備。結果的には今シーズンは雪も異常
に少なく暖かかったので良かったのだろうがちょっと軽装で無防備な感じだ。
チョムロンのきれいなロッジ群は見送って帰りにでも泊まりたいね、という話になる。
やはり大きな村だけあって万屋さんみたいな店も何軒か見かけた。下まで下るとアンナプ
ルナ・サウスとヒウンチュリの南面を流れ下るチョムロン・コーラの立派な橋がある。石
を積んでその上からワイヤーを渡した吊り橋である。14:50
だらだらと右上に上がっていってティルチェのバッテイで1本立てる。15:30。やはり
この時間だとシヌワ泊りになりそうである。おっかさんの言う通り、それ以上歩くと「死
ぬわ(シヌワ)」(河合のコメント)ということか。日も大分傾いてきて涼しくはなってき
たがこちらの身も傾いてきた。バッテイ横の畑では7~8才くらいの女の子がジャガイモ畑
を一人耕している。学校はもう終わる時間だろうか? こんなに小さな子供も貴重な労働
力なのだろう。
いよいよヒウンチュリとマチャプチャレに挟まれたモディ・コーラの奥に入り込んで
行く。右岸の斜面のだらだらの登りでシヌワ(2350m)に16:40に着く。宿は2軒のみだが部
屋数は多い。Sinuwa Lodgeというところにする。5人だというと、2階の4人部屋のドミト
リーとその横の個室を案内される。RS40x4とRS50で下と同じ額である。
かろうじて暖かいシャワーを順番に使って眺めのいいところで乾杯する。暑い中よく
歩いたとねぎらい合う。急激に冷えてくるので場所を移し早めに夕食を頼む。各自野菜チ
ャーハンとスープ(オニオン、ガーリックなど)を基本にツナピザ、トマトピザ、ロール
などをシェアすることにする。先に着いていた韓国の中高年大パーティ(ポーター多数)
が持参の材料と思われる食事を始める。焼き肉とキムチでおいしそうである。我々も室内
の食堂に入ると食事ができてくる。チャーハンはインディカ米が良くあっておいしい。ス
ープも具合がいい。ロールは少々脂っこい。ピザはどこで食べてもピザでおいしい。たく
さん頼み過ぎたので翌朝の朝、暖めてだしてもらうことにする。
夕食の後、主人のHit B.Gleebriさんといろいろと話をする。我々は翌日はバガールま
で行く予定だったがそこには今はロッジはないのでデウラリ泊りにしたらとのこと。また
アンナプルなBCのAnnapuruna Sanctuary Lodgeには日本語が堪能な人がいるとのこと。
一生懸命説明してくれた。テーブルの隣りにいたイスラエルのカップルが地図を見たいと
いうことで貸してあげた。今日は調子悪くてチョムロンからここまでだけだったとのこと。
イスラエルはアンナプルナトレッキングへの訪問者数(ACAPによる)ではイギリスに
ついでNo.2とのこと。意外な感じであるが若い人が多いようである。
晴れ:行動8時間半。
4月28日
朝5時半に起きるとガラス張りのドミトリーのベッドから直接マチャプチャレが見え
る。前日と同じように霞んではいるがさらに大きくなった。ヒウンチュリも望める。谷あ
い遠くにはアンナⅢ(7555m)と尖峰のガンダルブハ・チュリ(6248m)も見える。
前日に頼んでいたようにピザを暖めてもらう。どこかの首相のように「冷めたピザ」
というのはやはり頂けないものらしい。韓国パーティは早くも第1便が空身で出発してい
く。黒い重そうなバッグを背負ったポーター隊がそれに続く。我々も朝食を済ませ、共通
の大蔵省の河合が支払いをする。5人でしこたま食べてRS2880である。
6時55分出発。ほとんど水平の道を行くと集落の手前で気分のいい沢に出て休憩。砂岩
のような黄土色のスラブと満開の赤いシャクナゲ(ラディグランス)が鮮やかである。若
い女性のポーター達(後でこのトレック中もっとも評判が良かった)や大きなキャンプ装
備を背負った屈強な男達が通過していく。クルディガール(7:50通過)は1軒だけ民家が
あったが、分岐の上には集落があるように思った。これよりバンブーまでは100数十mの
下りで、モディ・コーラも近づいてくる。成るほどバンブーというだけあって細い竹が多
い。竹薮といっても大きなものは無く、数メートル四方位のかたまりが多い。相変わらず
赤いシャクナゲも大きな株に花を咲かせている。
8時50分にバンブー(2250m)に着き休憩。暑さもかなり和らぎ昨日までと比べ随分と
楽に感じる。これよりまたゆるやかな登りになりドバン通過9時50分。次に2480m付近の沢
で休憩、10時40分。丁度具合がいい気候になってくる。谷間のため両岸のちょっとした側
壁以外はあまり展望が利かない。ヒマラヤホテル(2870m 12:10着)では例によって速攻
でラーメンを作る。のんびりとレストランで昼食を注文する欧米人を尻目にがちゃがちゃ
と食器、火器類を出してはそそくさとラーメンをすする。せわしない日本人、にうつった
のではないだろうか? この辺から側壁にブッシュが少なくなりスケールも大きく切り立
ってくる。ヒンクーの岩小舎(3100m位:13:50通過)は立派で大きいが昔のガイドブッ
クの写真にあるようなバッティは今は無く、石積みだけがわずかに残っている。ヒウンチ
ュリ側の落差200m位はあるような一部空中落下の滝が見事で、スローモーションを見
ているように水煙を上げている。ヒウンチュリ側、マチャプチャレ側の側壁も圧倒的にな
ってきて見上げているとくらくらしてくる。この奥の更に奥にそれぞれの本峰があるとい
うわけだ。ヒンクーからは斜面の緩傾斜地にへばりつくようにデウラリのロッジ群が見え
る。いよいよモディ・コーラの奥深く入ってきたという感じである。雪が多い時期は雪崩
の心配がある場所でもある。かつてヒウンチュリを登りに来た日本人パーティがこのあた
りで雪崩にやられた、とシヌワのロッジのおにいさんが言っていた。
14時40分、デウラリ着。(3150m付近) ロッジは4軒あって奥の方のロッジ2つは韓国
人パーティー、欧米人パーティでいっぱいそうだったので下から2番目のPanorama Guest
Houseにする。ゆったりと部屋を取ろうと2人部屋、2人部屋、1人部屋というパターンで要
望したがとりあってくれないふうだったので3人部屋と2人部屋とする。
もはやシャワーを浴びようというほど暑くない。またホットシャワーも無い。そのま
ま着替えだけして外でビール。つまみのボイルド・ポテトが素朴でおいしい。ここは若い
かわいい顔をした兄ちゃんが1人で料理してくれているが手際がいい。いい気分になった
ところでこの兄ちゃんが縦笛を吹いてくれる。他の兄ちゃんや河合もトライ。また横の広
場では若いポーター達がバレーボールをしている。ボールが下まで落ちていったら取りに
いったり歓声を上げながら延々とやっている。疲れを知らない若者達である。
夕飯は中の食堂で食べる。例の兄ちゃんがランタンを着けたり、足元のバーナーを着
けたりまめに働いてくれる。テーブルには布をかけてありバーナーがとても暖かい。メニ
ューは野菜(キャベツ)カレーとご飯、スープ(トマト、オニオン)。今日は話をする別
のパーティもおらず、早めに床に着く。
晴れ:行動7時間半。
4月29日
今日はアンナプルナBC(ABC)に行く日。5時半に起床する。デウラリは深い谷の真っ
只中にあるためヒウンチュリとマチャプチャレの巨大な前衛しか見えない。6時10分から
チャーハンとホットドリンクという簡単な朝食を済ませ、7時10分に出発する。昨日はゆ
っくり休めたせいか、大分調子が出てきた気がする。費用RS3600。
左右の大岩壁を眺めながら行く。7時40分、マチャプチャレ西面の沢の出合いを通過、
本峰の台形が間近に高く望める。雪はかなり少ない様子である。8時10分バガールのバッ
ティ跡を通過。まだ建築材料として使えそうな石が残っている。高度の影響はまだ出てい
ないが富士山より高い高度が初めての人もいるし自分にとってもABCでできるだけ余裕を
持って快適に過ごしたいのでゆっくりと深い呼吸をしながら歩く。谷間の向こうには白い
大きな山が見える。河合の読図では、たぶんグレッシャー・ドームとガンガプルナの間の
稜線だろうということになる。途中、沢があって一部雪渓が残っているところで遊んでい
るパーティがいる。後ですれ違って聞いてみるとインドのカルカッタから来たとのこと。
インドでも山登りをやっているとのこと。また途中で韓国のパーティ4人位とすれ違う。
英語でおばさんに聞くとハングルで返事が返ってきた。とにかく表情、身振りからBCはす
ごい眺めだった、と感激している様子だった。昨日は同じデウラリに泊まっていたからマ
チャプチャレBC(MBC)を往復して来たと思われる。
このあたりから徐々に高度を上げ、10時にMBC(3700m)に着く。BCのロッジは2個所
に別れていて手前の一軒で休む。ロッジの横にはドイツが管轄している気象観測施設が建
っている。無人で定期的に人が来るそうである。例によってラーメンを作って食べていた
ら真っ赤なフリースを着てサングラスをつけた小屋の姉御が話し掛けてきた。日本のラー
メンが食べたそうなのでチキンラーメンと「La La」とを交換する。さっそく自分で作っ
てきて食べている。MBCには例のインドパーティ6人位とそのガイド(ポーター)1~2人、
オランダ人パーティ3人位、それに我々と賑やかになる。正面にはガンガプルナの南壁が
黒々としている。今シーズン、アメリカ隊が挑戦しているという姉御の話。宮尾と私が取
り出してみていた双眼鏡をインドパーティの面々が貸してくれということで、順番に使い
まわしする。結構人懐こい人たちで、皆で集合写真を撮ろうということになる。
11時に再び、ABCに向けまたビスターリで出発。ここからはU字谷ののびやかな風景が
広がるバックには逆光のマチャプチャレ、アンナⅢ、正面にはアンナⅠ、ファング、アン
ナサウス。くっきりとというわけにはいかないが見える。本流の氷河とを分ける低い尾根
を右手に見ながら小川の流れる中を深い呼吸をしながらゆっくりと進む。皆、調子は良さ
そうである。うす紫の高山植物(姉御がヒマリー・フルと言うんだと教えてくれた)が群
生していてとても美しい。この分だとABCまでは雪は出てきそうに無い。楽ではあるが拍
子抜けでちょっと残念である。
休んでいると例の韓国の尼さんが追いついてきた。我々がシヌワに泊まった27日はチ
ョムロンの下で泊まり、28日はヒマラヤホテルで泊まって今日来たとのことである。ヒマ
ラヤホテルからだと高度差があり、見た感じ結構辛そうである。早く歩き過ぎだと思った。
もっとゆっくりと深い呼吸をしながら歩くように勧める。下山も明日明後日の2日で下る
とのこと。チョムロンの少し向こうからジヌーに下り、ずっとモディ・コーラ沿いにビレ
タンティに行く道があると現地の人何人かに確認したらしい。それにしても強行軍である。
この人は以前日本にも来たことがあるとのこと。大阪で「全国煎茶大会」とかいうのがあ
って韓日の愛好家がチマチョゴリと着物を着て集ったとのことである。方々行ってるな、
このおねえさん。
何回か休みながら13時30分ABCに到着する。ロッジは4軒あり、さっそく日本語な
どの数か国語が堪能なネパール人がいるというアンナプルナ・サンクチュアリー・ロッジ
をあったってみるが今日はいっぱいとのこと、隣りのアンナプルナ・ゲストハウスにする。
料金は同じである。(RS50)
外はガスがかかってきてお散歩は止めにして食堂のテーブルで時間を過ごす。ロッジ
のおにいさん2人が人懐こくいろいろと話をする。1人はチョムロンに住むグルン族の青
年、1人はポカラに住むタマン族の青年である。どちらも仏教徒で時々は修行で寺に入る
とのこと。彼は空身であれば2日でABCまで上がってきて1日で降りる(ことができる)
そうだ。
これからの行程の話をしていて当初予定ではゴレパニ峠という案もあったが遠望が利
かないし結構アルバイトがあるということで止めにする。のんびりと4日かけて5月3日に
下山してナヤプルからまたタクシーを拾ってポカラへという話を小屋の人と話しをしてい
た。ところがである。下山の5月3日というのは選挙の日で治安の維持のためバス、タクシ
ーなどは運行禁止になって走っていないよ、とのことである。選挙の抗争がここのところ
激しくて物騒だとも心配してくれる。どうしようかということになったが1日早く降りる
のもポカラでお金をかけて暑い中過ごすのももう一つということで予定通り4日かけての
んびり降りることになる。3日の日移動できなくても4日の朝移動でも何とか間に合うとい
う計算である。
何かの拍子に家畜の値段になった。ロバはRS20000~25000、馬はRS40000~45000すると
のこと大きな財産なわけである。
早めの夕飯を食べていたら、スペイン人1人とそのガイド1人が食卓についた。黒い
髪、黒い髭のスペインのおにいさんは調子が悪そうであまり食事を取らない。英語もほと
んど話せないようである。ガイドの方はだんだん賑やかになってきてもっぱら下ネタには
まる。彼はブラーマン族ということでヒンズー教徒だそうだ。ブラーマンはものの本によ
ると数あるネパールの部族の中でも高いカーストに位置する部族出身とのこと。自身が2
8才で同じ家に22才と16才の2人の妻と住んでいるとのこと。楽しい結婚生活のよう
で身振り手振りをまじえて話す。河合が適当にいなしながらも延々と皆で大笑いして腹の
皮が痛くなった。彼によるネパール語講座:ツゥマ;kiss、ダメ;good、ダイ;brother
最後はグルンの青年と二人でピリリ(鳥:lonely plane)というフォークソングを歌って
くれた。
この他食堂にはポーターやガイド、他のロッジで働く人が入れ替わり立ち代わり現われ
ネパール語で歓談していく。ABCの夜は賑やかに更けていった。明日の展望を楽しみにし
て床に着く。
天気、晴れ:行動6時間。

4月30日
5時起床。いい天気である。カメラと双眼鏡の用意をして5時15分にロッジを出て、
ロッジの西側の広場から低い尾根に登って夜明けを待つ。もう既に結構の人が出ている。
防寒着にセーターと合羽を着ているが0℃くらいだろうか、寒さはたいしたことは無い。
カメラを据えてモルゲンローとを待つ。6時少し前、アンナプルナ主峰8091mの上が
サーモンピンクに染まる。続いて西隣りのファング7647m、しばらくしてサウス7219m
も染まっていく。例によって透明度が悪いため、恐ろしいばかりの迫力というわけにはい
かないが、見渡す限りのヒマラヤの高峰に囲まれ、来た甲斐があったというものである。
アンナの主峰は間に遮るものが無く、距離が8km、標高差4000mというとてつもなく大
きなスケールで聳えている。涸沢から見る奥穂を、距離も高さも5倍くらいにあたる。
主峰の南壁は壁だけで3000mの高さがあるが、雪の間に見える岩肌が黄色っぽいのでど
こか優しい感じがする。スケールがあまりにも大きいので壁の下まで光線が差し込むには
随分と時間がかかった。その頃にはもうピンク色は薄くなり、透明度も下がってくる。目
の前北側には数年前伊藤さん、小田君、蒲郡山の会の岩瀬さんが登ったテントピークが大
きく見えるが雪は頂上付近だけである。
いったんロッジに戻って食事をする。小屋の人と話しをしていると今年は例年に無く雪
が少ないようで、昨年だと小屋の周りでも4~5mもの積雪があったようだ。体調は皆そ
れほどの不調はなく、ちょっと頭が痛いかな?というくらいで済んでいるようである。
食事を済ませて再び丘に散歩に行く。支払いをすると5人でRS4250かかる。さすがに
高度が上がってきてものの値段が高い。それぞれのんびりと眺めを楽しむ。ロッジに戻っ
てくるとポーターだろうか2人がバレーコートでバレーボールをしている。河合、宮尾、
それに私も仲間に入れてもらう。さすがに4100mでのバレーボールはきつく、すぐに息
切れするし、ジャンプしようとしても上がっている感じがしない。そういった体が思うに
任せない具合を逆に楽しむような感じである。
9時半にABCを後にする。小屋の外の原っぱではバンブーから1日で来て昨夕遅く着
いた若者が今日もここと泊りということで座ってくつろいでいた。韓国の尼さんの姿は朝
からは見えなかった。昨日よりも霞み始めるのが早く雲も出てきている。途中から福地君
が調子が悪いのか大幅に遅れる。
10時半にMBCについて例によって姉御とお話をする。ネパールのビスケットをごち
そうになったのでこちらも宮尾がマクビティのビスケットをすすめる。休んでいると学生
風の若い女性グループが到着。姉御の話だとイスラエルの人達だそうで、ここには大勢訪
れるがどうも評判が良くないようだ。金銭にうるさいのか、要求がきついのか、詳しくは
判らない。
福地君と合流してゆっくりと下る。デウラリに12時15分着。日本人の数人のパーテ
ィとすれ違う。一部のメンバーはテントピークを登るとのこと。またまた福地君をしばら
く待つ。今日になって高山病の症状が出てきたようで若干の咳と胃の調子が悪く力が入ら
ないとのこと。でもゆっくりいけば大丈夫とのこと。
今日は天気が悪い。ヒマラヤホテルの前になって急に空が暗くなっていきなり大粒の雨
が降り出す。遅れているかと思った福地君もすぐに到着する。13時40分着。協議の結果、
ここで泊まることにする。当初予定ではバンブーまでであったが明日はチョムロンまで余
裕で行けることからささっと部屋に入る。高度を下げて福地君の高山症も大分良くなった
ようである。
食堂に入って休んでいたら雷が鳴り出して大粒の雨に混じって数ミリ大の雹が激しく降
る。ロッジで小休止していて雨の中出発した人は結構厳しい思いをしていることだろう。
ガイド・ポーターレスの強みで5人だけで行動している我々は即決で泊まるところを臨
機応変に決めていける。
本を読んだり、記録を書いたりして時間を過ごす。ロッジの世話人の若い衆二人は我々
が着いた時からトランプを楽しんでいる。それでも夕食を頼んだら結構手早く作って出し
てくれた。布団をかぶって昼寝をしていたネパリーやいつの間にか食堂に集まってきたポ
ータ達も我々の後に食事を取っている。お決まりのダル・バート(豆の入ったカレー状の
料理とご飯)をたっぷりと食べている。
他には白人の熱熱のカップルとテント泊で食事だけとりにきた日本人2人である。見
たところ70才は過ぎているかと思われるおじいさんと50才位の女性で、おじいさんの
方はうるさ型ヒマラヤ通といった感じだった。おいしいのネパール語、ミト・チャを教え
てもらったのは収穫だった。
夕食後、ネパリーとトランプをすることになった。まず彼らのルールでやることにした。
ババヌキに似てペアを作って無くなった人が勝ちというゲーム。違うのは相手に引かせる
のではなく、自分で選んで次の人に渡すというもの。我々3~4人とネパリー3人でやっ
て30分位楽しめた。次に7並べを彼らに説明して、やろうということになったが、相手
が出すのを止めて自分が先に出していくという戦略の意味を十分説明しきれず、難しいと
いうことで断念。神経衰弱に切り替えたがこれも皆つかれてきてちょっとで解散となって
しまった。
天気:晴れ後雨と雹 行動4時間。

5月 1日
5時30分起床。朝は晴れていてマチャプチャレが見える。上部では雪だったようで昨日
までよりも白く見える。6時から朝食。チベッティアンブレッドと焼きそば。ちょっとヘ
ビーだった。5人でRS3600。
7時に出発。前日の雨で若干ぬかるみはあるが埃がたたなくて空気もしっとりとしてい
て気分は良い。7時50分ドバン着。8時45分バンブー着。今日は福地君は快調で一緒に歩く。
高度を下げたらてきめんに良くなったようだ。
シヌワに10時45分着。4日前に泊まったロッジのおにいさんと挨拶を交わす。5月3日が
下山日で交通機関が止まってしまい、その日にポカラまで帰れないのではと心配している、
という話を彼にすると、彼も確かにそうだということで1つの提案をしてくれる。ガンド
ルン経由で下っていくのだったらガンドルンの村長に頼めば電話があってポカラに電話を
かけてチャーター便をアレンジしてくれるだろうということになって、村長への紹介状ま
で書いてくれた。本文はネパール語なので不明だが宛先と署名は以下のとおり。
Mr.Til Bahadur Tamoさんへ(ガンドルンの村長兼Peaceful Guesthouse & Lodgeのマネ
ージャー)
Mr.Hit B. Gleebriさんより(シヌワのSinuwa Lodgeのマネージャーらしき人)

ABCでは仮に5月3日に便が無くても4日にポカラに向け移動すれば間に合うだろうという
話も出たが、11時25分のポカラ-カトマンドゥ便の時間が早まる可能性もあるということ
を現地旅行社から聞いていたこともあったので、何とか3日のうちにポカラに戻る手だて
をとろうということで提案を受け入れることにした。この時は最善の選択と思えたが結果
的にはチャーター便が来なかったりで当てが外れることになる。それは後の話。いずれに
せよこの方にはいろいろとお世話になった。親身になって世話を焼いてくれてありがたか
った。Hill Top Lodgeのみなさんと一緒に写真を撮って先へ進む。
11時50分 チョムロン・コーラの例の吊り橋に着く。休もうとすると大きなアゲハ蝶。
黒字に黄色のアゲハだが日本にいる黄アゲハよりかなり大きく黄色地の入り方もシンプル
に見えた。例によって大休止でスープの時間にする。なにせブタンガスを2つ買ってまだ
余っているし、河合もスープをたくさん持っているので使いきってしまおうというわけで
ある。橋がある場所というのはいい場所で瀨音を聞いてのんびりしていると安らぐ。河合
が橋の横にある発電所を偵察しに行ったので着いていく。ホースをずらしてプロペラに当
てるだけのシンプルな発電装置。夜になると誰か手動で発電モードに入れるのだろうか?
ここはチョムロンの村の一角。下の方は民家が多いが一軒だけ万屋さんがある。宮尾が
草履を見つけたというので、草履の無かった私が現地調達する。丈夫で重くネパリー・ポ
ーター様御用達というやつである。例の急な階段を上っていると昨夜、Himalaya Hotelで
一緒にトランプをやったガイド兼ポータと行き会う。しきりに目の前のGarden Villa
Lodgeを勧めてくれるので、ロッジ群の中では低い場所に位置するがここに泊まることに
する。きれいな庭と花があって雰囲気はGood.12時30分着。
例によって部屋代は同じ。部屋に入って順番にホットシャワーを使う。4日ぶりである。
そうこうしていると1時半頃、今日も定期便が来た。少し雹が混じった夕立である。この
あたりでは3日目の夕立になる。畑のとうもろこしやジャガイモ、牛も恵みの雨を喜んで
いるようだ。
例によって乾杯のビール。その後は皆ほっとしたのかお疲れか、部屋に戻って昼寝にす
る。4時頃起きて食堂で時間を過ごす。チョムロンはほとんどグルン族の村で食堂には近
所の人で従軍したグルカ兵の肖像画がある。またムスタン王国のマニ・ダライとその母親
の肖像画もあった。
夕飯はチキンカレー。さっき鶏を捕まえているのをみたとメンバーの話。それにしても
ここのチキンカレーはうまかった。庭や道を歩きまわり、ロバ君の半分消化のウンチをつ
ついて育った正真正銘の地鶏というわけだ。
夕食の後、ロッジの人と話しをする。チョムロンには30軒程度のロッジがあって、どこ
も自家発電をしているとのこと。しかし最近は通過点になっていてなかなかお金を落とし
てくれない様子。このロッジは夫婦でやっていて近所の18才の少年と12才位の少女を下働
きに雇っている様子だった。チョムロンには小学校があって7クラスあるようだが、少女
は今は学校には行っていないようだった。(卒業した?)夫婦の間に2才位の男の子がいて
この少女が子守りをしていた。ロッジの主人から要望があって夫婦とその子供が今風邪気
味で薬を持っていたらくれないかという。薬は渡し方が難しいが宮尾と河合が成人用と子
供用に分けて(効き目がゆるやかな漢方薬を子供用として)詳しく説明をして渡した。
家族で作ってくれたという感じのおいしい夕食に満足し床につく。
天気:晴れ後雨(雹):行動5時間。
5月 2日
5時半起床。サウス、ヒウンチュリ、マチャプチャレがロッジのデッキから見える。や
はり積雪が増えた様子で激しい雪煙が舞っていた。朝食はコンチネンタルでトースト、エ
ッグ、マッシュポテト、ミントティー。夕朝5人でRS4700であった。
7時10分発で例の急な階段をゆっくりと登っていく。尾根を回り込む場所でジヌーへの
道を分け、トラバース。8時20分にタダパニとの分岐にあるバッティを通過、急降下に入
る。下りは早い。9時5分にキムニュ・コーラの河原(約1800m)に着き小休止。日差しの
中の約400mの登りだが往路の2日間よりは暑さはましになった気がした。疲れも残っ
てきているのでゆっくりと進む。同じように若い母親と娘2人(10才位と2~3才)の3人連
れが登って行く。下の村からキムロンかガンドルンまで買い物にでも行くのだろうか、ち
ょっとだけおめかしをして。
10時45分にキムロン(2160m)に着く。今日はサウス、ヒウンチュリが良く見える。来
る時よりも視界がいいようである。途中の木陰でスープを作ってゆっくりして、12時30分、
ガンドルンに着く。予定通り村長にお願いするためにPeaceful Lodgeを探す。来る時に泊
まったMtn.View Lodgeの少し上にあった。
村長さんは休息中であったが奥さんを通じて出てきてもらう。手紙を差し出して説明を
する。了解したということで電話をしてみるということになる。電話がある家(国際通話
もできるという看板が出た店?が途中にあった)へ行ったようであるが1時間以上帰って
こない。そのうちに都会的な服装をした数人が村長宅へ集まって来る。留守だと言うこと
でテーブルを囲んで待っている。選挙の関係の客人のような雰囲気である。接待にビール
などの冷たいものが客人に出され周りにある農家の生活とは別格の雰囲気だった。周りの
民家などにも選挙の旗が立っていたり人が集まっていたりあわただしい雰囲気である。こ
のままこのロッジにいても忙しそうで扱いが良くなさそうだということで、私と宮尾だけ
村長の回答を待つために残って、河合、山本、福地の3人はMtn.View Lodgeに移動しよう
ということになり、荷物を持って移動した。
しばらくして何故か3人がバックしてきた。途中、電話をしに行った村長に呼び止めら
れて、「あんたら今日はわしのところへ、とまるんよねえ?」という話になって「は、は
い」ということでリターン。何とまあ窮屈な話になってきた。村長でも5人の客は惜しい
とみえる。腹を決めて奥さんが案内してくれたのは、個別にバス・トイレ付きのGuest House
で2人部屋で1部屋でRS500とのこと。ロッジよりかなり高いので止めようかと思っていた
ら、客人の中から日本語の声があって解説してくれた。「RS300までは下がるみたいだけど
どうしますか? ロッジもあるけど」我々はあっさりと1人RS50のロッジへ移動した。
ようやく村長が戻ってきて何とかチャーター便が来るとのことであった。知り合いのミ
ニバス(ワゴン車)が投票箱が閉まった5月3日の夜7時頃にポカラを出て来るとのこと。
先ほどの、日本語が非常に堪能な人が中に入って仲介してくれる。ポカラのあるホテルの
パンフレットを一緒に出してここへ泊まったら直接ホテルへ送り届けるよ、ということで
一応了解する。ミニバスとホテルの料金が不明だったので再度確認してもらうことにする。
ひとまずは移動手段とポカラでの宿泊場所を確保できた格好だが、投票日の状況がどれほ
ど緊迫した状況なのか、果たしてチャーター便は来るのか疑問は残る。
あとは考えてもしようが無いので例によってのんびりする。山本さんが昨夜のチョムロ
ンのロッジでサンダルが壊れたということで、ガンドルンの町中へ買出しに行く。降りて
いってMtn.View Lodgeの南50m位の所に万屋さんがあって買う。昨日私が買ったのよりも
少し高いが軽いのがあったのでそれに決める。ついでに敷物を見に行く。敷物専門店が閉
まっていたので、「グルン族の展示館」をのぞいてみる。おねえさんが展示館の受付兼店
番をしている。中はほとんど真っ暗でバッテリー式の蛍光灯を貸してくれる。中は昔から
の民家そのままでそこに民具やら衣装が展示してありねぼけた蛍光灯を近づけて確認する。
どこまでが使ってない古いもので、どこからが今も現役で使っているものか判らないよう
な、逆にいうと生活そのものが民俗学的に意味のある感じがするところだった。2階へ上
がってみるとジャガイモの蓄えがあったりして生活の臭いのする展示館であった。敷物の
即売もやっていて羊毛の絵柄入りのの1人用の座布団でRS500だった。なぜだか絵柄の中に
パンダらしきのがある。チベットにはパンダはいるのか、ネパールでも人気があるためな
のかは分からない。
夕飯のため食堂へ集まる。カレーの人、ダル・バートの人それぞれ頼む。奥さんと雇い
人らしき女性2人で用意してくれるが材料を裏の納屋に取りに行って一から準備、という
素朴なスタイルで1時間以上の待ち時間。ここはケロシンのコンロでは無くプロパンガス
を使っているようだった。
昨日の方がよかったなあ、ここはいまいちかなあ、企業努力が足りないなあ、などと不
平が漏れる。特にこれといって特徴が無い料理だったが、逆にこれが本来のネパールの比
較的上等な家庭料理に近かったのではないかとも思った。ここのロキシーはひがらっぽく
無くて普通だったようだが、ライス・プディング(ご飯とミルクとココナツ)は水分が少
なくてHimalaya Lodgeの方がおいしかった気がする。
天気:晴れ(この日は雨無し):行動5時間20分

5月 3日
いよいよ最終日、5時半起床。 朝食はコーン・ブレッドとオムレツとミルク。昨日か
らの料金は5人でRS3000であった。町に少し近づいて物価が下がってきた。
村長が来てもう一度確認の電話を入れるとのこと。ホテルはツインで1部屋$10位だ
ろう、ミニバスはRS2000まではいかないだろうということで了解する。こちらを10時ごろ
には出て行くので夕方までにナヤプルに行って待っている、ということで再度確認の電話
を入れてもらう。
あとは思い思いに椅子に座ってぼけっとしたり、写真を撮ったりする。サウス、ヒウ
ンチュリは日が高くなっても割合良く見えている。雨で確実に透明度が上がっているよう
に思えた。マチャプチャレ、ガンガプルナ、アンナⅢはシルエットだけである。
投票日の人の動きを眺めていたらGuest Houseに2階に来ていたおじさん(昨日も客人
できていた)が声をかけてくれた。2階から投票所となっているガンドルンの小学校を見
てみよと教えてくれる。なるほど大勢の人が学校の運動場に集まっている。特に混乱はな
さそうである。今回の選挙は首相の直接選挙、国会議員、地方議員を選出する5年に一度
のことである。投票時間は6時までとのことであった。
ミニバスの時間が遅いので10時に出発する。村長がいなかったので奥さんに一言礼を言
う。咋夕方から私の方が両膝が痛くなる。歩くのが厳しいというほどでは無いがストック
を出して下っていく。疲労性のものなのか栄養の片寄り、不足のせいなのか。宮尾も腰が
少し痛いとのこと。ビタミン不足でないかと言っている。
ガンドルンがこの近辺の投票所にあたるため村めがけて大勢の人々が通行してくる。
人々は普段よりおめかししている。女性だと鮮やかなサリーを身に付け、片側の鼻にピア
スをつけたりネックレスをしたり、華やいだ雰囲気である。男性も円筒状の帽子をかぶっ
たり、スカートのような下衣をつけたり、はたまたちょっとしゃれた洋服を着た人もやっ
てくる。上天気で日射が強くチョータラの木陰では大勢の人が一服している。ほとんど手
ぶらだが子供も大人も一緒に村中総出という感じである。5年ぶりの選挙で人が集まると
いうことで半分お祭り気分なのであろうか。
ゆるやかな石段をトラバースしてキムチェの部落に10時50分に着く。既に投票を終えバ
ックしてくる人もいる。鮮やかなブルーのサリーをまとった若い女性が日本語で挨拶して
くれる。サリーのブルーと学校の元気な先生、といった感じの快活な様子が印象的だった。
降りていくと一人の農夫が鋤を牛に引かせて畑を耕している。近づく雨季を前に耕作の
準備に余念が無い。反対側を見ると段々畑にロバや牛が草を食んでいる。キムチェは観光
地化されない素朴な農村である。考えてみると山の南斜面にあたり白い山が見えない位置
なので宿泊施設が少ないのかとも思った。
モディー・コーラに向け急降下に入る。下からはテント泊の装備を背負った10人20人規
模のポーターがどんどん上がってくる。10代後半と思われる女性も結構いる。その後から
は案の定、日本人の大パーティーが現れる。いい装備・服装のすぐそれと分かる中高年の
人々が黙々と列を成す。シャウリバザール直前のバッテイに入ってジュースタイムとする。
12時15分。2才くらいの男の子の双子がいて、いつものパターンで河合になついて遊んで
あげていた。
また暑い地帯に戻ってきた。道中にはバナナもなっていた。緯度的には亜熱帯なのだ
と実感する。シャウリバザールからは水平な道を進む。途中の木蔭で休み、沢の水で味噌
汁を作る。14時20分ビレタンテイに着く。ACAPでチェックを受けるが1つ心配事項があっ
た。旅行社の申請したトレッキングパーミッションが7日間の5月2日までになっていたこ
とである。知らん振りして一括のリストといっしょに出したらOKであった。後でsakyaさ
んに聞いたら日本の旅行社からは7日間できているとのこと。また出る時はチェックされ
ないのではないかとの話。でもしっかり見られたら引っかかって追徴金なりを請求される
のではないかと思われる。
ほっと一息、ACAP横のレストランで腹ごしらえ。チャーハン、ピザなど。ピザが鉄板
に載ってジュージューいいながら出てきたのには驚いた。下まで降りてきたものだ。店の
おねえさんも随分垢抜けている、というより日本人にもいるタイプである。今日の雨はど
うかと尋ねると降っても少しだろうとの答え。暗くなる7時までに、できれば雨が降る少
し前にナヤプルに上がって行けばいいので瀨音を聞きながらゆっくりする。
夕方近くになって女学生らしき数人が同じレストランで休息。評判のよろしくないイ
スラエルパーティか?その後、我々に今日のポカラまでの移動手段について聞いてくる。
選挙で交通機関は一切動かないこと、我々はチャーター便を手配していることを伝えると
分かりました、ということで何やら協議して去っていった。ビレタンティ泊と決めたのだ
ろう。
6時前になって雲行きが怪しく、雷も鳴って風も出てきたので引き上げてナヤプルの元
村を通ってハイウエイに上がる。6時20分着。ミニバスが来るまでどこかのバッテイでし
けこもう、という魂胆である。ナヤプルに上がると選挙管理委員会のような組織の白い公
用車が止まって投票箱を待っていた。我々はビレタンティへの降り口に近いバッテイに入
ってミネラルウォーターやジュース、ラーメン、ロキシーなどを注文、ひたすら待つこと
にする。
暗くなった通りには現地の酔っ払いの若者達に混じって、もう1グループチャーター
便を待っているグループがいた。おそらく9時半ごろまでには来るでしょうとグループの
1人が言っている。9時も過ぎ、子供も奥のベッドで寝てしまった様子なのでバッティを
出ようとしたが「ここで待っていていいよ」とのことで、その言葉に甘える。9時45分、
上に明かりが見えたということなので出ていったがもう1グループのタクシーであった、
残念。それが何と日本人パーティ用のもの。下で待機していたのか10人程の日本人が続々
と上がって来る。日本人ツアーの協力な根回しには驚いてしまった。そのまま、外で待て
ど暮らせど我々の便は来ない。10時半を過ぎて酔っ払い数人だけがたむろしている。あ
きらめてバッティ横の東屋のようなところで寝転ぶ。酔っ払いも下のナヤプル元村へ降り
ていったようで自分もシュラフに入る。そこへ心配をした先ほどのバッティの主人が来て
くれ自分のバッティに入って寝るように勧めてくれる。一度は断ったが先ほどの酔っ払い
はまた上がってきて、乱暴を働くかもしれないと何度も勧めてくれるので入らせてもらう
ことにする。テーブルをよけて土間に4人、夫婦用のベッドには1人寝かせてもらうこと
になる。若夫婦は奥の子供達のいるところへ入ってくれたようである。我々のような見知
らぬ外国の一見の客、しかも下手をすると自分達の身の危険を感じても不思議ではない男
5人を家に入れてくれたことに感謝しながら眠りに就く。

天気:晴れ一時小雨:行動4時間20分

参考に新聞記事からの抜粋をしておきます。
<ネパール総選挙:5月3日の新聞記事から>
ネパール総選挙(定数205)の第1回投票が5月3日実施される。約2400人の候補
が争った選挙戦は1日にすべて終了。3日には90選挙区で投票され、17日に111選挙区で
投票、翌18日には大勢が判明する見込み。
選挙戦さなかの4月26日に死去した、統一ネパール共産党(UML)のアディカリ前首
相の選挙区をはじめ三選挙区は投票が6月8日に延期された。この結果を受け、全選挙区の
議席が確定することになる。
ネパールに複数政党制が誕生した90年以降、2大政党であるネパール会議派(NCP)
とUMLが政権抗争を繰り返してきた。現在のコイララ首相(NCP)の政権も昨年、与
党の離脱のため崩壊し、同首相は辞任を表明。総選挙までの「選挙管理内閣」となってい
る。
両党は物価上昇や雇用問題の改善、外資の導入などをそれぞれ訴えている。極左武装
集団が選挙のボイコットを要求して全国でテロ行為を行なっており、投票所周辺は厳戒体
制となっている。

<ネパール選挙:5月21日の新聞記事から>
「ネパール会議派 単独過半数」
ネパール下院(定数205)総選挙は、20日までの開票で、中道政党のネパール会議
派(コイララ総裁)が単独過半数を獲得するのは確実となった。選管によると、20日午後
までに167議席が確定、うちネパール会議派94議席、統一共産党58議席、国民民主党7
議席となっている。
ネパール会議派は、既に首相候補に党最高幹部のバタライ元首相(74)を決めてお
り、ビレンドラ国王は最終集計結果を受けて、組閣を要請する。

5月 4日
5時、バッティの朝は早かった。2人がダダーッと表を開けて店の支度を始める。我々
も飛び起きて即撤収。店支度ができたところで客として厄介になり暖かいティを飲んだ。
お菓子の残りやらボールペンやら扇子やらを差し出し、お礼を言う。
そうこうするうちに1台のタクシーがベニ方面(ポカラと反対の方向)からやってき
て止まった。値段交渉をしてみると1台でポカラまでRS2000とのこと。飛行機の時間のこ
ともあるので、かなり窮屈だがこれ1台に乗込むか、複数台現れるまで待って安く、ゆっ
たりのるかということで迷ったが、バスが6時15分位に来るという情報がこの時点で入っ
たのでそれを待つことにした。果たしてバスがほぼ定刻に現れた。例のバッティの主人も
ポカラ行のバスだよと促してくれる。
車内は既に満員に近そうなのでバスの屋根の上の荷物置き場にザックといっしょに5人
とも乗込む。青天井の荷台はとても気分がいい。トレースしてきたモディ・コーラに別れ
を告げる。先日来の夕立のせいか朝の空気がとてもすがすがしく、また木の緑も来る時よ
りも濃さを増した気がした。走っている途中でも普段着を着た車掌が車内から荷物台まで
上がってきて運賃1人RS50を徴収していく。走行中でも何でも平気で枠を伝って手際良く
徴収する姿には感心してしまった。途中でも何箇所か停留所に泊り、車内や荷台にも大勢
の人が乗ってくる。どうもポカラへの通勤客が多そうであった。最高点のカーレやナウダ
ンダからはサウスなどが見えて透明度も良くなっているのが分かる。峠越えのルート上の
村、ダンプスも見えている。平地に下っても白い山は見えておりアンナⅡやⅣも見えてい
た。
8時前にポカラのバスターミナルに着く。ここから空港までのバスもあるのだろうが、
時間もあり3~4Km位の距離なので歩くことにする。途中、公園の簡単な食べ物屋さんで
「LaLa」(ラーメン)を食べて朝飯とする。ここにいた若い兄ちゃんが親しそうに話して
くる。ちょっと異常な位のハイテンションで「俺は日本人が好きだ」、「日本のこういう友
達がいる」といって名前を書いた紙を見せたり。ふと口を滑らせてマリファナがどうのこ
うのと言っている。手元では次に吸う準備をするような仕種も垣間見える。一切取りあわ
ずささっと立ち去る。途中果物屋さんがあって小さいバナナの房を買って食べたがほとん
ど甘くない。甘いものもあるのだろうか?
ポカラ空港に着いて一安心。11時25分のNECON Airの便が40分遅れに変更になっていた。
空港のレストランでカレーを食べて時間を過ごす。久久に冷たいビールがうまかった。日
本人も徐々に集まってきていて同じ便でカトマンドゥへ移動する。
タクシー(今度は1台RS100)で同じマナンホテルまで移動する。Sakyaさんにも連絡が
ついてシャワーを浴びた後、簡単な顔合わせをする。パスポートとチケットを返却しても
らって旅の様子を簡単に話す。例のトレッキング・パーミットはやはり1週間で申請する
ように日本から依頼があっただけとのこと。あとは日本とのやり取りになる。
さっぱりして後はカトマンドゥの観光と土産物ツアーに走るだけ。福地君の案でこの
日は中心街のダルバール広場と買い物、明日の午前はチベット仏教寺院、スワヤンブナー
トへ行くことになる。
例によってマスクが欲しい雑踏に飛び出していく。ダルバール広場はホテルのあるタ
メル地区からは結構距離がある。2Km位だろうか。広場の周りは小さな寺院がたくさんあ
る。結構古そうな建物だが美しさを感じるということはない。例のクマリの館(ヒンズー
教徒の中で祭祀者として祭られている少女の住む館)も中庭までは入れる。後は買い物ツ
アーである。広場に並ぶ出店にはアンモナイトや工芸品類が並びディスカウントショッピ
ングと冷やかしが楽しめる。隣りにある紅茶の葉のお店は旅行者に大人気。それぞれかな
りの数を買い込む。お茶の葉を入れた袋のデザインがチベット的でなかなかきれいで確か
に喜ばれそうな工夫がしてあり、値段も100gのものでRS110と手ごろである。
あとは延々と商店街を歩く。衣料品(ショール、Tシャツ、毛糸類)やポスター、絵葉
書、革製品(レイヨウ、羊など)、岩塩などそれぞれ気に入ったものを買い込む。雑踏の
中、私が迷ってしまって皆を多いに待たせてしまう。一度ホテルに私も戻ったり、彼らも
ホテルに電話をしたりしてくれ世話をかけたが、再度戻った路地で何とか行き会えた。
もう既に暗くなっておりお腹も空いたので今日はタイ料理ということになる。トムヤ
ンクンはご飯を入れて食べるようであった。タイ風カレーもおいしかった。デザートはち
ょと甘すぎた。一人チベット料理を注文した福地君も町の中のレストランの豪華メニュー
に大満足の様子であった。ネパール最後の夜を楽しみ床に着く。

5月 5日
最後の日である。6時半に起きて7時にホテルのレストランでコンティネンタルの朝食。
午前中はチベット仏教寺院、スワヤン・ブナートの観光ということで8時にホテルを出て
タクシー(軽のワゴン)1台に乗る。空港とは反対方向の高台に寺院はある。
階段が参道になっており門にはマニ車がある。修行僧の見習いなのか10才位の子供が
たくさんの燈明の番をしている。両側にぱらぱらと露天商が並んだり、おこもさんがいた
りする。階段の両側には狛犬のようにいろんな動物が一対ずつならんでおり、上に行くほ
ど階段が急になり一番上には本殿(形はモスクのよう)が見える。外国人のみ拝観料を支
払って中へ入る。ヒンドゥー教徒であるインド人らしき観光客も大勢来ている。標高差100m
位はあろうか、かなりの階段を上って境内に上がると上は平らである。例の全てを見通す
といわれる半眼の書かれた本殿とそれを取り囲む幾つかの建物。本尊を見ることができる
のは仏教徒だけということで我々もカメラ、靴を外し中へ入る。紅がそこら中につけてあ
って熱心な信者はそこにひれ伏して額に紅をつけて出て来る。我々がそうではないのはす
ぐ分かるようで本尊から出てきたら警備のおじさんに軽く笑われてしまった。
また露天商を冷やかしながら参道を降りてタクシーでタメル地区にバックする。多少、
時間があるので若干の買い物をしてホテルに戻った。
全部の荷物を持ってホテルを出てカトマンドゥ空港へ。5人でやりくりして全てのネパ
ール・ルピーを使い切った。 13時40分のタイ航空便でバンコクへ向かう。(18時10分着)
トランジットで同航空23時10分の便を待つ。夕食は空港のレストランで食べたがここ
のカレーが強烈に辛かった。免税店で各自お土産を買う。ネパール土産に比べて高かった
こと。夜の便に乗込みわずかの眠りにつく。

5月 6日
明け方、飲み物とお手ふきで起こされて頭が眠っている中で朝食。雑炊が軽くて良かっ
た。成田に着く前小さく、でもくっきりと富士山が見えた。睡眠不足の中、成田に7時30
分着。手続きを済ませ、京成線で東京駅へ。時間のある福地君は鈍行で帰るとのことで東
京で別れ、残り4人は12時前に豊橋駅に着いた。豊川はからっとした五月晴れの気持ちの
良い日で、今日から会社、学校と皆出かけていて誰もいない自宅の扉を開けた。5人それ
ぞれにとって12日間の初のネパールトレッキングの旅が終わった。

<感想>
今回も宮尾君の発案でネパールトレッキングに乗っかることができた。山本さんや福
地君にとっては初めての海外での山歩きで慣れない面もあって大変だったと思うけれども
まずまず楽しめたのではなかろうか?
雨季を前にしたこの時期、1ヶ月も雨が降ってなかったということで透明度が悪く、紺
碧の空に恐ろしい程の威圧的な白い山々、といった迫力のある美しさには遠かったのは残
念だった。雨が無いということでアンナプルナ・ベースキャンプでも全く雪が無いという
のは異例のことのようで拍子外れでもあった。昨年はもっと視界が良く、雪もあったと聞
くからこの時期は差が大きい、むしろ今年のような具合と思っておいた方がいいのかも知
れない。それでもアンナプルナ・ベースキャンプでの雄大な光景は日本の山には無いスケ
ールでやはり来て良かったと思う。今度は正月休みの時期に澄み渡ったヒマラヤを見にき
たいと思う。エベレスト街道かランタン谷か、ちょっとたくさん休みを取ってトレッキン
グ・ピークか? いつこれることだろうか?
ネパールの人々の暮らしや優しさにも触れることができ、心に残った。町の雑踏を離
れ農村に入るとヒマラヤの前山の斜面に慎ましく暮らす生活があった。冬や乾季の厳しい
気候に耐え、じゃがいもやとうもろこし、米や雑穀類など懸命に生きる糧を紡ぐ人々の姿
があった。農業の生産性を上げようという政府の取り組みも厳しい立地条件、気象条件故、
向上は難しいと聞く。まだ年端もいかないような子供達が牛を追い、鍬を振るっていた姿
にもジンと来るものがあった。
ロッジやバッティでの親切にも心打たれた。観光業だから当たり前といえばそれまで
だが、例の選挙のごたごたの中で親身になって考え世話を焼いてくれたバッティのご夫婦、
シヌワ・ロッジのお兄さん、有り難かった。
―記:上田―

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