大反省の後立山縦走登山

【後立山縦走登山】26.7.25~27
【2026年7月25日~27日】
【メンバー】金田

楽しみにしていた後立山縦走。

2泊3日で栂池から入り、白馬岳、五竜岳、鹿島槍、爺が岳を経て扇沢まで歩き抜ける計画だった。

しかし、この山行は撤退することになった。

悔しさは残る。でも、それ以上に「命あってこその登山」という当たり前のことを、身をもって学んだ山行だった。


目次

7月25日(土) 前泊

下山予定地である扇沢駐車場へ車を停め、バスと電車で栂池高原へ移動。

翌日の縦走に備え、この日は前泊した。


7月26日(日) 低体温症との戦い

朝8時のゴンドラ・ロープウェイで栂池自然園へ向かい、8時30分頃に登山開始。この時は晴れていた。

登山口では小雨。

係員の方からは、

「稜線上は風が強くなる予報です。」

と注意を受けた。

雨具を着込み、ザックカバーも装着して歩き始めたが、30分ほどで雨は一気に本降りとなる。

登山道は沢のようになり、靴の中まで完全に浸水。

天狗平に着く頃には風も強まり、気温もどんどん下がっていった。

途中、多くのツアー登山者とすれ違った。

後で知ったことだが、ガイドが天候悪化を予測し、ツアーは全員撤退していたそうだ。

そして白馬大池山荘へ到着。

この時点で、私は歯がガタガタ鳴るほど寒さを感じていた。

今振り返れば、この山荘で撤退するべきだった。

それでも、

「歩いていれば体は温まる。」

そう判断し、先へ進んでしまった。

ここが今回最大のミスだった。


白馬大池山荘を過ぎると、遮るもののない稜線歩きになる。

  • 気温 約5℃

  • 風速 約15m/s

  • 土砂降りの雨

全身に冷たい風雨が叩きつけ、、顔面がチクチク痛いほどであった。

やがて全身が激しく震え始めた。

厳冬期登山より寒かった。

ショルダーハーネスを握っていないと手が勝手に震え、まともに歩けない。

思考も鈍くなり、集中力は著しく低下。

「早く先へ進まなければ。」

それしか考えられなくなっていた。

今思えば、低体温症(中等度相当)の症状だった。

このままだと死ぬかもしれないと思うようになり、風を避けられる場所で温まらなければと考え、エマージェンシーシートとビバークツェルトを被り、バーナーでお湯を沸かして温かい飲み物を飲み補給食も十分に摂取した。

この作業も手の震えから中々うまくいかずかなりの時間を要した。

しばらくするとシバリングは落ち着いた。

歩行能力は維持できており、白馬山荘まで危険箇所は少ないことも分かっていたため、慎重に歩き続け、何とか到着することができた。

本来はさらに約3km先の天狗山荘でテント泊する予定だった。

しかし、これ以上あの稜線を歩くのは危険と判断し、白馬頂上宿舎へ下りて小屋泊へ変更した。

山で目の当たりにした現実

宿で着替えを済ませて休んでいると、突然慌ただしくなった。

白馬大雪渓で意識を失った登山者が、心肺停止の状態で搬送されてきた。

白馬頂上宿舎には昭和大学診療所が併設されており、医師や医学生10名ほどで救命措置を行っていた。

その後、今度は重度の低体温症となった外国人女性が搬送された。

錯乱状態となり、乾燥室からは叫び声が聞こえてくる。

女性は回復したようだったが、心肺停止で搬送された方は、懸命な救命措置も及ばず、お亡くなりになった。

「自分も一歩間違えば….」

そう思うと、本当に背筋が凍った。

その夜、レスキュー隊員の方が宿泊者全員へ話をされた。

「今日ここまで登ってきた人は、全員判断を誤っています。休みを取ったから、せっかく来たから、お金がもったいないから…。そんな自分本位の理由で危険な状況の中を登ってきてしまった。これは明らかな判断ミスです。このような登山を続けていると、いつか本当に命を失います。」

厳しい言葉だった。

しかし、誰一人反論できなかったと思う。

この日は救助要請も非常に多く、レスキュー隊員の方々も疲労困憊の様子だった。

その言葉は、私の胸に深く突き刺さった。


7月27日(月) 撤退を決断

翌日は天候が回復し、五竜岳山荘まで進む予定だった。

しかし、朝4時になっても外は暴風雨。

8時になっても小屋から出られない状況が続いた。

天気予報を確認すると、木曜日まで雨予報へ変わっていた。

この先には、不帰キレット、八峰キレットという難所が待っている。

エスケープルートもほとんどない。

そこで、ようやく撤退を決断した。

雨の切れ間を利用して白馬大雪渓から猿倉へ下山。

猿倉からタクシー、電車、バスを乗り継いで扇沢へ戻り、帰路についた。

 


今回の山行で学んだこと

今回、一番大きな反省は、天気予報を十分に確認しなかったこと。

そして、白馬大池山荘で既に低体温症の症状が出ていたにもかかわらず、「まだ歩ける」と自分を過信し、先へ進んでしまったことだった。

撤退する選択肢も、山荘で停滞して様子を見る選択肢もあった。

それでも、自分は進むことを選んでしまった。

夏山でここまでの悪天候を経験したのは初めてだった。

「夏だから大丈夫。」

そんな思い込みが、最も危険だったのだと思う。

今回、無事に帰宅できたのは運が良かっただけだ。

自然は、人間の経験や体力など簡単に超えてくる。

だからこそ、「撤退する勇気」は登山技術の一つであり、命を守るために最も大切な技術なのだと痛感した。

縦走かなわず悔しい思いもあるが、この経験を得られたことはとても大きなことである。

この教訓を忘れず、しっかり準備を整え、来年もう一度挑戦したい。

必ずリベンジします。

最後に、この山行でお亡くなりになられた登山者の方のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

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