【花立山荘】25.5.10(河合)
【2025年5月10~11日】
【メンバー】河合、他1
5月10日(土)、朝8時過ぎに家を出発し花立山荘に向かう。朝から雨が降っていたが、昼からは曇りの予想。気分を保ち戸沢の駐車場に11:50頃到着。12:10出発し、雨の上がった曇り空の下、天神尾根を登る。2時過ぎに大倉尾根との分岐に出る。ゆっくり花立山荘を目指して登り、15:00前には到着した。
風が強いので、塔ノ岳は行くのをあきらめる。16時頃からバーベキューが始まり、親睦会。
守さんと久しぶりの会話を楽しむ
その後21:30就寝まで色々な会話が飛び交った。
夜のビデオ鑑賞で 第4回丹沢ボッカ駅伝 エキシビジョン60㎏に参加したときの写真が流れました
(20代の私)
また、親睦会の中で、最も若手のK君と話をしたところ、明日の丹沢ボッカ駅伝では4区を他チームではあるが歩くそうで、急にエントリーが決まったそうだ。私も4区で歩くので、私(58歳)、K君(25歳)のバチバチ?の戦いは始まった。
5月11日(日)
朝は天気も良く富士山も見える。
秦野市がよく見える。
1区がゲンちゃん、2区オギさん、3区守さん、4区私。10時に第一区スタートなので、9時20分頃花立山荘を下山し、4区のスタート地点(堀山の家)に向かう。久しぶりの大会雰囲気にテンションも上がってくる。
次第に1位のチームから4区スタート(堀山の家)を通過し、K君とチームは違うが同じ花立山荘のTシャツを着ている仲間。「どちらかが先ですぐ後ろに来て、二人のザックの受け渡しが同じだと笑うね」と話していたら、その話が現実に・・。K君がスタートした後、私が約1分後にスタートすることになった。
3区は守さん。昨年丹沢ボッカ大会にエントリーするも体調不良のため欠場したため、初の守さんと一緒のチーム。しかも守さんは私が20代の時にこの人には勝てないと思った、憧れの人。「山梨のランナー千野。ボッカの高橋。」私の中の憧れ。思い出の人が目の前でザックを渡してくれる。守さんは69歳とはいえ確実に歩いて4区まで繋いでくれた。
ここで私のスイッチも入って、いざスタート。10mほど進み、ザックが前かがみになったところで、重心を崩し、転んだ。転んだ拍子に1区ゲンちゃんの飲み物が何故か目の前に落ちてきた。すぐにつかみ、スイーパーしていただいている方に私、私は歩きだす。焦っている割には、意外と冷静で、焦る気持ちを押さえ、呼吸だけを気にして登る。直線距離40mぐらいだろうか?K君が見える。急な登りのためすぐには追いつけないが、確実にロックオンし、目標となった。
4区は急な登りの連続で途中平らが100mほどあるがその後も階段含みの急登が待っている。前半で力を使い果たすわけにもいかないが、途中の平らまでに3人位抜くことができた。平らの終わりでは、後10mほどでK君に追い付く。こうなった抜くしかないが簡単ではない。一定のスピードで近づきラストの階段が続く急な坂でK君を捉え抜くことができた。後は、階段を登るだけだが、この階段が長い。こんなにながかった?と何度も思った。途中で休もうとも思ったが、足を止めると動けなくなる。これは、行くしかない。ラストの声が花立山荘から聞こえるが、簡単には着かない。何とか花立山荘に着いた時には、昨日、懇親会をしたスタッフの皆さんからの声援が大きく聞こえた。
久しぶりの大会に参加し、自分の原点はここにあるのかもしれないと思った。荷物を持って歩くだけ。しかも20㎏。どこかで何が楽しいの?と声が聞こえてくるが、何故か楽しいんだ!と答える。
20秒後にはK君ゴール。充実した笑顔がそこにはあった。同じTシャツを着て競った4区。自然と握手を交わしていた。
むっちゃ、充実感と笑顔
楽しく、熱くなり、記念撮影
左から私、守さん、K君
1区ゲンちゃんと私
個人のタイムは、各小屋での事務軽減のためか途中から計測はされていないで、結果は全体のタイムのみ。私たち「花立山荘」のチームは49チーム中20位だった。
守さんは、「最高齢者賞」を受賞されました。流石です。
私の過去の丹沢ボッカ駅伝大会。
第3回大会は、広島県の友達と参加し2位。
第4回丹沢ボッカ駅伝 エキシビジョン60㎏の成績
第5回大会(20㎏の部)に広島の友達と参加し5位、
第8回大会(20㎏の部)愛知国体のメンバーで出場し1位、
第9回大会(20㎏の部)愛知国体のメンバーで出場し2位、
第10回大会(20㎏の部)愛知国体のメンバーで出場し2位、
第11回大会(20㎏の部)愛知国体のメンバーで出場し6位、
丹沢は私のかけがえのない思い出の場所であった。