【自転車で巡る四国遍路:後編(伊予・讃岐)】
【2025年 4月15日~22日】
【メンバー:上田】
登山ではなく、自転車旅ですが載せさせてもらいます。
昨年、5/13~22の10日間で二国参り(阿波と土佐)を自転車でお参りしました。
https://toyokawa-ac.jp/sonota/38938
◆今回のあらましと感想
今回、4/15~22の8日間のお遍路(4/14は移動日)で、伊予と讃岐の88番札所まで廻ることができ無事に結願できました。お宿の方や同じお遍路さん、道中の地元の方との暖かい交流ができ感謝の気持ちでいっぱいです。道中安全を祈願したお大師さん、連れ合いと母の見守り、行っておいでと暖かく送り出してくれた家族に感謝です。結願の日には88番から1番に廻り(八日間で約620kmの走り)、同日徳島港から和歌山港までのフェリーを使って奈良に無事に帰宅できました。
今回も第一目標を「無事に帰ること」、九十を越えた父や義母より先に逝かないこと、母(私の妻)を早く亡くした子ども達のためにも元気で無事に帰ることを第一目標にしました。1つ1つのお寺でのお参りを静とすると、自転車での移動は動。動は楽しいながらも登り下りや、路面状態、追い風や向かい風などで体力を使い(昨年よりはやや体力落ちた感じあり)、事故を起こさない(行程を進めるために車道走行やトンネル内走行)ことから緊張感の持続が必要で、登山ほど難しくないように思いますが、登山よりある意味危険なようにも思います。
娘からのLINEで一首 父の夢見たと娘がラインくれ 山で死ぬ夢心配かけるね
宇和島で青森の方と
初日のゲストハウスで
45番岩屋寺の入り口で
同じく岩屋寺の入り口で日本一周&四国遍路の若者と
松山ユースホステルで一緒になった新潟のTさんと
「すけ家」で同宿だったドイツから来た歩き遍路さんと (ひげ面濃いです(^_^;))
「五葉松荘」の女将の琴演奏 デンマークの若者と楽しんだ
五色台の西のブロッコリー畑でカンボジアから働きに来ている若者と
四国大橋を渡って高松まで来てくれた娘夫婦と会食(今回のハイライト!)
山登りの六十番札所 横峰寺を下ってきて残雪をかぶった石鎚山を遠望する
結願(八十八カ所を廻り終えること)を前にしたその前日には、お参りで心経を唱えていると、こみ上げるものがあり、しばし声が出ないことが何度か。その夜は広島・福山から娘夫婦が四国大橋を渡って高松まで来てくれて食事会(結願前夜祭?)、楽しい夜で昼間に嗚咽したことも忘れていました。
最終日は朝9時過ぎには八十八番大窪寺にお参りし結願証を頂きました。好天でまだ静かな境内で、さわやかな心持ちでした。同じく結願された歩き遍路さんは「あっけない、少し寂しい」とおっしゃっていました。
私には何が残ったのか、それはまだ分かりません。でも行く前も思ったけど、「残されたものが元気で毎日を過ごすこと、それが何よりの供養」の思いは変わりません。
結願におめでとうとの友の声 銀輪へんろこの後いかに
結願し一番札所は懐かしき 何か変わった?今はわからぬ
やることをやるべきこととやれることやりたいことの間(あわい)で思案
今回は、2月から始めた短歌詠みの中での自転車遍路後半でした。当初、お遍路後半は昨秋11月に予定したものの、9月末にアルプス山行の頂上で不覚にも手を突いて左手小指第一関節を脱臼し、今春に延期しました。でも怪我の功名で今回は曲がりなりにも歌心を持つ中でのお遍路。走っていた毎日は疲労と集中力のブランクのため夜はバタンキューで、奈良へ帰宅して2~3日で20首あまり詠みました。お恥ずかしながら末尾に書き留めます。ご笑覧ください(^o^)
今回も旅行記まで書き終えてほっとしています。今年もやるべきこと、やりたいことの年度計画を立てて次のことを考える日々ですが、先ずは家族を始め、皆さんに感謝です。
寝室&仏間のテーブルに色紙を立てています。今は、お花の色紙の書画(光代が書の展示をするお隣の会場や、前後して写真や書画を展示されていた中村さんから、昨年4月の書の合同展示会(&光代の追悼展示会)で頂いた色紙と、光代の「大人のひとりごと」(の葉書版)の1枚です。中村さんは車椅子で生活しておられ、よく光代に笑顔で声をかけて頂いていました。感謝です。
◆基本計画
・自転車での遍路で、基本的に車遍路コースを辿る
・自転車での四国遍路の下記の記事を参考
https://www.gooko.info/blog-know-what-1007
◆準備
・自転車:昨年同様27年物の赤のフレームの自分のランドナー(タンゲのクロモリ ダブルバテッド)を使い、今回はバイクショップへのサポートなしに自分で多少のメンテをしました。また日頃の街乗り位で特別なトレーニングは今回なしでした。
・宿の予約:昨年の経験から3日間だけ(4/14,15,16)予約しました。4/16には道後温泉に行きたいとの計画で、一日60~80km走行の計画としました。GWなどの繁忙期は事前予約必須の感じと思いますが、4月であれば当日朝に2~3件当たると空きがあるという程度の混雑具合でした。
◆巡回実績(あらまし)4月15日~22日(8日間)
日 | 参拝寺 (番札所) |
走行距離 km |
走行路の状況 | 印象に残ったお寺、光景 | 宿泊場所
:電話番号 |
コメント |
14 | ―
(昨年は40番札所まで参拝) |
0 | 五位堂駅8:20-鶴橋–難波–新大阪9:30-岡山予讃線特急しおかぜ–松山予讃線 特急宇和海 宇和島駅 16時 | 郷土料理「ほづみ亭」鯛めし(宇和島風)おいしかった インバウンドの宿泊・遍路さん3~4名 |
うわじまゲストハウス 070-9028-5546 \3800(素泊まり) | 雨天が予想されたため、この日の走行は止めて宇和島入りのみ |
15 | 41,42,43 | 105 | ・寒冷低気圧の影響で大気が非常に不安定で、一時的な雨、一時的な晴れ間、霰(2回)と目まぐるしく変わる天気 ・43番から久万高原までが峠越え厳しく宿に着いたのは19時過ぎで長い一日 |
いずれも久々の遍路で新鮮 特に43番でお寺の方の説明が丁寧で良かった 42番周辺は早くも田植えが済んでいた |
久万(くま)高原(標高700m)
「やすらぎの宿 でんこ」0892-21-0092 \9500 |
・朝、ゲストハウスの同宿・歩き遍路さんと交流 ・高原手前で、同年代の自転車遍路(テント泊) |
16 | 44,45,46,47,48,49,50,51 | 66 | これ以降ほぼ晴(時々曇り)とお天気に恵まれた
・44番岩屋寺は久万高原より往復で遠かったが、岩を背負った山寺で良かった ・久万高原から松山への下りが豪快で景色良好(転倒注意) ・膝の炎症でロキソニン(塗薬購入:~4/21まで塗る) |
44番で日本一周&四国自転車遍路の若者と交流(女性用フレームを改造)フルスペックの車載でテント泊 | 松山ユースホステル 089-933-6366 \5500 街中に至近で便利。雰囲気もご飯も良い |
・神戸からのバイクの方と交流 ・ユースで75歳のTさんと交流(道後温泉へ) |
17 | 52,53,54,55,56,57,58,59 | 85 | ・52番の後、今治までは海岸沿い多い:瀬戸内海が美しい ・「花へんろ」の作者早坂暁さんの生地 松山市北条 ・58番は標高400m程の坂登り 他はほぼ平地の寺 |
道の駅「風早の里・風和里」でお土産(紙細工:お花) | 伊予西条市の「お遍路ハウス お宿 すけ家」 090-1571-1911 \4800(2食付) | 「すけ家」の女将ユニーク(ベジタリアン対応など):ドイツ女性遍路と交流 |
18 | 60,61,62,63,64 | 67 | ・60番横峯寺は今回最大の山登り(30⇒780m) 下りの残雪の石鎚山が素晴らしかった ・61,62,63⇒60⇒64で廻る |
60番が山中で良かった
今回、思い出の1日 |
四国中央市長居の「五葉松荘」0896-74-3523 \7800 | 女将は琴の師匠で20分ほど演奏を聞かせて頂いた |
19 | 65,66,67,68,69,70 | 77 | ・65番三角寺へは坂登りで370mまで
・66番雲辺寺はロープウェーを利用する(標高900m) ・67番で後ろのタイヤの空気抜け判明、68,69は大丈夫かにみえたが、70番ではすぐに抜けてしまう。既に18時前で、夕暮れを心配し、自転車店を探すとたまたまR11沿いに南1kmにプロショップあり。そこに持ち込み、サポートを受けながらチューブ交換。(ピンが刺さったパンク) |
三豊市のほ志川旅館(素泊りのみ 4000円) | ||
20 | 71,72,73,74,75,76,77,78,79,80 | 52 | 平地で比較的近いエリアでした | 75番善通寺(弘法大師の生誕の町)の伽藍が立派だった | 高松市国分の「かえるゲストハウス」3000円
古民家改造 |
途中、神奈川からのミニベロの自転車遍路さんと交流 |
21 | 81,82,83,84,85,86 | 81 | ・五色台へのアプローチ、登り、五色台からの瀬戸内海の展望は素晴らしかった
・84番屋島寺の景色も素晴らしかった ・85番は八栗ケーブル利用、名勝 五剣山も素晴らしかった。 |
・83番手前で宮武うどん、とてもおいしく良かった
・娘夫婦と右のお宿に約束の18時に丁度間に合った |
87番の向いの「結願の宿 ながお路」0879-52-3084 素泊り4900円 | 娘夫婦と高松の「一鶴」でチキン料理を堪能、その後、デザートで解散(宿まで送迎) |
22 | 87,88,1 | 85 | ・朝7時に87番参拝 ・88番までは特別な急坂はなく、ライドできてよかった。 ・88番大窪寺で結願証を自己申告で頂けた(2500円)。 ゆっくり余韻を楽しんだ。・1番までの40km余り、徳島港までの20kmが南寄りの強い風がほぼ向かい風で厳しかった。 |
・88番で埼玉の上田さんと言葉を交わし、結願の喜びを分かち合った。
・徳島港16:25発のフェリーに何とか間に合い、和歌山港から南海電鉄和歌山市駅までライド、そこから輪行で難波経由で22時過ぎに(弟の迎え)帰宅(雨) |
自宅 | |
合計 | 宇和島~41~88~1 | 618 |
◆日々の記録と写真
4月14日
雨の中、弟に最寄り駅(近鉄大阪線五位堂駅)に8時に送ってもらい、前回同様輪行袋の自転車約15kgとデイパック約4kgを担いで近鉄、御堂筋線と乗り継いで、新大阪駅から岡山駅、今回は岡山予讃線特急しおかぜ–松山予讃線 特急宇和海に乗って宇和島駅に16時着。今日は宇和島泊まりのためのんびりである。
まず今日のお宿の「うわじまゲストハウス」に入る。2人用のドミトリーだが今日は1人で二段ベッドの下を使わせてもらう。宿のお薦めのお店マップから郷土料理「ほづみ亭」に電話、OKとのことで早速歩いて向かう。鯛飯がお薦め。宇和島の鯛飯は独特で、濃いだし汁の生卵とじに鯛のお刺身を混ぜた物を熱いご飯にかけて頂く。(松山では普通の鯛の炊き込み)お店のおばあちゃんやカウンターのお隣のお遍路さん(青森市より)とお話が弾む。
宿に戻ると3~4名のインバウンドの方がキッチンで夕食。オンラインワーケーションの広島の男性がお世話をしていました。マメな方でした。明日からの走りに備え、いい気分で早めに就寝。
4月15日
寒冷低気圧の影響で大気が非常に不安定で、冷たい雨に降られそうなお天気。ゲストハウスで出発の支度をしていたら、インバウンドの歩き遍路さんも支度をして玄関へ。先ずは北東に進み田園地帯にある41番札所龍光寺へ。前回同様、本堂でお札を入れ般若心経を唱えお祀りされている仏様の真言を唱え、大師(だいし)堂でもお札を入れ般若心経を唱え大師様の真言を唱える、以下略式ですが同じ作法でお参りをさせて頂く。(納経帳は持たず) 次に移動しようしようとすると宿のインバウンドの遍路さんを早くも見かけました。早いです。時々パラパラするので、レインウェアの下も履いて走行です。周りの田んぼは代掻きが終わり、早苗が植わっている田んぼも。めちゃ早いです。早苗も寒そうです。42番仏木寺も田園風景の中、途中また冷たい小雨が降っていました。ここからは峠越えの登りで、一時パラパラと3mmくらいの霰が舞いました(#^^#) 標高200m余りの歯長峠を越えて43番明石寺。山麓の静かなお寺で、石段や建物が県の名跡になっているとお寺の方から説明頂く。確かに立派でした。土佐の文旦とも違う、南予の大型柑橘も並んでいました。自転車でなければ買ったけど。。
これから久万高原(標高700m弱)までが遠かった。県道56号を走り大洲市に入り短いトンネルを出ると正面に大須城。すぐに肱川(川霧の肱川おろしで有名)の立派な橋。向きを東に変え内子町をめざす。またしても驟雨で一時霰も舞う。さっき日が差したと思ったら雨、霰でお天気が目まぐるしく変わる。国道379号から380号へとひたすら走りようやく青空が広がった頃、道の駅 小田の郷せせらぎで大休止。安売りとなった助六寿司で腹ごしらえ。ベンチでは同年代の自転車遍路さんが「今夜はここでテント泊します」とのこと、お互いの健闘を祈ります。この後も登りが続き真弓峠(735m)で一段落。右奥の山は一両日の雪で白かった。日が沈む頃に久万高原町落合へ、直角に左に折れ今日の宿「やすらぎの宿 でんこ」に19時過ぎに到着。11時間、105km大きな峠越えと、長い一日でした。寒い中頑張ったせいか膝が悲鳴をあげて一時的な炎症です。しっかり夕げを頂き、お風呂で暖まり、ありがたやありがたや。
4月16日
7時にお宿の朝食。いいお天気でまずは近くの44番をめざします。最後少し坂を上がると山麓のお寺さん。いい雰囲気です。山門の大きなわらじ、外人さんに少し説明しました。ここからは東をめざし、山中の45番岩屋寺をめざします。途中、四国カルスト県立公園の一角の古岩屋(ふるいわや)生活環境保全林で周囲に40mの岩(第三期層礫岩峰)がにょきにょきそびえていて奇観が広がります。峠御堂など高原の周辺の小さな峠(トンネル)を越えると川沿いにお寺の入り口。ここから500mの山中の参道を登ると奇岩に囲まれた45番岩屋寺です。岩屋まで5m程の梯子がかかっているので登ってみます。山形の立石寺を想い出す立派な山寺でした。
入り口では日本一周&四国自転車遍路の元気な若者と交流しました。女性用フレームを改造したフルスペックの車載でテント泊&時々お宿でゆっくりと廻っているようでした。久万高原町市街部に戻りドラッグストアで、ロキソニンの塗り薬と筋肉疲労のビタミン剤を購入。早速からだをいたわります。
ここからは久万高原町市街(700m弱)からゆるやかにR440線添いの三坂峠(720m)を越えて、海岸に近い松山に一気に下ります。今回では最長の快適な下りで、穏やかな天候で松山方面の眺望が素晴らしかったです。路面状態も良く風もあまりないので、スピードが出ますが、最大でも35~45km/h位にブレーキングしながら安全に下ります。
R440の下りの途中、左側への分岐で北北東に46番札所に下る遍路道(車通れそうな狭くて急な車道)があり、行けそうな気もしましたが、ここはR440~R379経由で西側から大回りして46番をめざします。
46番から51番はわずかの距離を隔てて、ほぼ平らな道を松山市街をめざすお寺さん。今日のお宿が近づいて気がはやりますが、町中の車の混雑に気をつけながら、1つ1つのお寺を廻ります。神戸からバイクで来られた方とも前後しながら何度か言葉を交わします。46、47番は衛門三郎のゆかりの寺とか。50番繁多寺では17時を越えましたがお参りをさせて頂きました。お堂手前の泉水では見事な緋鯉が数匹泳いでいて、父母と徳島を廻った時に緋鯉をよく見ていた父を思い出します。51番石手寺には三重塔など重要文化財があり重厚な感じ。ここからは松山の市街地に入り、道後公園の少し手前を右に上がると今日のお宿松山ユースホステルがあります。宿につくとやれやれで今日は個室でした。夕食時に前の70台半ばの方といろいろお話をさせて頂きました。この方(Tさん)も2年前に奥様を亡くされ、新潟から車で来られて今回通しで廻られてみえるとのこと。道後温泉はこれからということでご一緒させて頂きました。道後温泉本館まで歩いて数分という便利な場所で、ご一緒に湯を楽しみました。昨年まで本館は、有名な玄関や建物、中の様子含め元の伝統様式を守るように修復されたとのことで、みなさんが写真を撮ったりして楽しんでみえました。我々も玄関で写真を撮り、町中で一盃、しかしながら閉店が21時過ぎと早すぎが残念(^_^;) 大満足でお宿でバタンキュー、お休みなさい。
4月17日
今日も快晴で8時前に出発。まずは道後公園で少し散策。子規記念館は当然ながらまだ閉まっています。子規と漱石の句碑もありました。また観光ででも来たいです。松山市街を離れ北へ、先ずは52番をめざします。最後少し坂道で森の中の太山寺。キリシタンの灯篭もありました。九州だけでなく西日本には隠れ切支丹多かったのでしょうか?
ここからは海岸沿いを走り、瀬戸内海の穏やかな海が広がります。海の青、空のあをが素晴らしく、母のぬくもりを感じます。
NHKドラマ 「花へんろ」の原作者 早坂 暁さんのふるさと 松山市北部の北条地区
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009010314_00000 ドラマも本も見させてもらいました。
ドラマで出てきた「冨屋勧商場(百貨店)」(早坂さんの実家の稼業)を名乗る居酒屋もありました(^o^)
途中で鯛めしがサブメニューでついたランチを頂きましたが、こちらはいつもの鯛の炊き込みごはんでした。
松山・愛媛、海もきれいでいいですね!
54番~57番は海から離れ平地のお寺さんでした。
58番仙遊寺は山の中400m位までの登りで最後はライドを諦め押すほどの傾斜で大変でした。山中ではシャクナゲ(ピンクや白)、シャガが満開でした。頂上からは春霞で穏やかな瀬戸の海が望めました。
59番国分寺で今日は終了し、今日のお宿「お遍路ハウスお宿 すけ家」に向かいます。ちょっと怪しい感じですが、面白いことになります。
宿に着いた時はだいぶ暗くなっていました。変わった形態のお宿で、フロント・受付がわからない、女将もいないので呼び鈴では出ず、電話でようやく出てこられました。夕飯は別のお部屋に取り置きくださりいただきます。
爆弾おにぎりや手製のお惣菜、デザートなど変わった雰囲気。しっかりいただき、シャワーを頂きました。 一人部屋に入ると目が持たず今日もバタンキュー。
4月18日
朝6時半起床、朝ごはんを頂きに行くと同宿のドイツから来た若い女性が先に召し上がっていました。片言の日本語の挨拶がとても素直な感じでした。(はい、どうもありがとうございます! など) でも遍路姿もばっちりで頑張って歩いていくんだよねえ。何を想い毎日毎日歩き続けるのでしょう? 女将も出てこられてお給仕してくださる。この女性はベジタリアン対応、でも納豆食べれるということで、聞いて個別対応してくださっている。
女将に聞くと10年前まではご主人とカラオケボックス営業。でもダメになってきて、お遍路宿に改造。(それで個別に外から部屋に入る扉があった)ご主人が亡くなられ、おひとりでお遍路宿を切り盛りされてるとのこと。ビーガン対応など、食事の個別対応もされるため、欧米からの遍路さんが情報発信してくれたりするので、海外からの遍路さんの割合も多いとのこと。その他身の上話を少し。ステージに立つことを楽しむ茶目っ気もおありで、こちらも連れ合いの話やメモリアルブックを見ていただく。
8時前にはドイツ女性も私も支度ができていざ出発。私は61,62,63番と平地の3寺を先にお参りしてから、車道沿いに60番横峯寺の山登りを往復する予定。歩き遍路は山道を直接60番めざす予定。インバウンド歩き遍路さん向けにはナビゲーションなど必要な情報が入ったネットのツールがあるらしく、日本人歩き遍路でもこれを使っている人もいるとか。何せ歩き遍路の内44%が外国人、という調査もあるらしい。
61番は鉄筋コンクリートの大聖堂、今回唯一だと思います。
続いて62番、63番とお参りします。
ボタンもきれいに咲いています。
いよいよ60番をめざす道、石鎚山登山口方面に入っていきます。
徐々に傾斜が出てきたころ、ロードバイクに荷物を少し積んだ若そうなサイクリストが先行してみえましたが、それ以降見えなくなりました。60番ではなく石鎚山方面だったか?
途中60番へのマイクロバス駐車場で休憩し(野草がきれい)、更に奥へ人口の黒瀬湖を左下に見ながら高度を上げます。
あと4~5kmのところでいよいよ傾斜が強くなりライドを諦め、自転車を押してゆっくりの登りになります。
いくつものつづら折りを繰り返し、60番の駐車場(標高780m)に到着。自転車を置き300m位の歩き(主に少し下り)で横峯寺に到着。山中のお寺でいい雰囲気。八重桜も満開でした。
「すけ家」の女将に頂いたおやつ、ありがたい。
頂上駐車場からの瀬戸内海遠望。石鎚山は「星が森」という峰から見れるとのことだがパス。
路面もそんなに良くなくターンが細かいので、ブレーキングしながら来た道をゆっくり下ります。ここから県道12号(黒瀬湖の北側)を下ると、黒瀬湖の向こうに残雪を被った石鎚山が時折望めてよかったです。
加茂川沿いからR11を少し戻ると64番。林の中の神仏習合のお寺さんでした。
この後はR11を東へ、今日のお宿東予の四国中央市長居の「五葉松荘」を目指します。途中、うっすらと石鎚山、その後、東赤石山に続く山並みが望めました。お宿に到着し、今日は女将の丁重なお出迎えで「welcome みたらし団子」を頂きながらご挨拶。お風呂の後たっぷりのお夕飯と余裕のビール。女将のお話(お四国、阿波~土佐では来し方に涙に濡れたお遍路さんも、伊予(菩提の道場)~讃岐(涅槃の道場)と進むと落ち着いて自分を見つめることができるようになった、など)も心に染みるものでした。
デンマークからの若いお二人の歩き遍路さんが食卓に降りてきてしばし雑談。学生ではなくお仕事をしてみえるとのこと。その後女将はお琴のお師匠さんということで、何とミニ演奏会してくださるとのこと。「さくらさくら」の正調と変奏、ドボルザークの新世界よりから「遠き山に陽は落ちて」に聞き入ります。間近でお師匠さんの見事な演奏素晴らしかった。演奏姿もとても素敵! 最後デンマークの男子は演奏にトライしてさくらさくらのメロディを奏でていました(^o^) いいお宿、いい夜でした(^o^)
4月19日
6時半に朝ご飯を頂き、デンマークの2人を玄関で見送り。玄関には東赤石山系の名産の立派な五葉松が植えられていました。
R11を東へ走り、伊予最後の65番三角寺は山の中のお寺で結構な登りでした。
境内には薄緑で八重咲きの「右近」桜、満開を過ぎて芯が少しピンクになりかけていました。
下って高松自動車道の南側の農道を66番雲辺寺のロープウェーを目指します。65番までの菩提の道場 伊予も終りで、いよいよ涅槃の道場 讃岐に入ります。
雲辺寺は歩き遍路だと標高900mを越える遍路転がし。車でも南側の県道192号経由で山登りの車道で大変なので、北麓からのロープウェーを使わせてもらいます。
観光客も多いロープウェイ、900mの稜線と観音寺市の平野と海も見渡せます。
ロープウェイで往復し、自転車乗り再開で田畑に囲まれた67番大興寺です。
お参りした後、後ろのタイヤの空気が抜けていました。インフレーターで注入して様子見です。
68番、69番と隣接してお参りし、この時は空気抜けていない様子。
今日最後の70番本山寺は五重塔もあります。お参りの後、やはり後輪の空気が抜けていました。
時間も17時半を過ぎ、パンク修理中に暗くなると拙いと自転車屋さんを探します。幸いR11沿いに約1kmの所にプロショップ「シクロヴィータ」が見つかりそこまで自転車を押します。暗くなってくるので、何かの時にサポートを得られるかな?(リスクマネージメントのマインドが働きます 無理せず人のお世話になることです)そこで自分でパンク修理を始めました。オーナーが見かねてサポートをしてくれました。チューブを外すとタイヤにピンが刺さっていて取り除き、暗くなるまでにチューブ交換・パンク修理完了、ああ良かった。そこから4kmほど北の今日のお宿「ほ志川旅館」を目指します。コロナ禍で食事提供できなくなったとのことで、手前の大型店You Meのフードコートで夕食を済ませ、とっぷりと日が暮れた中、お宿に入ってお風呂を頂いてゆっくり。何とか無事に一日が終了。
4月20日
今日は大抵は平野部の71番から80番をめざします。
71番弥谷寺は少し坂を登った所から、やや山道の参道から境内をめざします。山寺の山門いいですね。
裏山の岩山に磨崖仏があり立派です。お寺からは讃岐平野のぽこぽこ低山がきれいに望めます。
ぽこぽこ山の間を縫って、72番、73番、74番と廻ります。前後してミニベロで自転車遍路をする神奈川から来た方と少し交流しました。小径タイヤの自転車だと平地でも15km/h位しか出ない、普段は700mm径のロードバイクだけど、今回は輪行のしやすさを優先して小径にしてしまって失敗したとのこと。それでも今回1番札所からここまで21日はよく頑張って来られたと思います。
75番善通寺は町中の大変大きな伽藍。本堂も五重塔も大楠、五百羅漢像も立派でした。観光客で賑わっていました。
お寺の南裏の通りのおうどん屋さんで腹ごしらえ、暖かい肉うどんにかき揚げ、腰があり出しもおいしかったです。
この後も主にR11沿いに東へ走り、効率よく76番、77番、78番、79番とお参りします。
飯野山(讃岐富士 422m)も間近にきれいです。
80番国分寺には16:05着。お参りしていると16:30丁度に山門を閉める様子。看板には確かに16:30閉門、17時までの参拝を、とあるが余りにも早い閉門。中では納経の際などに寄付(200円)をほぼ自動的に求めている。
16:35に脇の出口から退出すると、ミニベロの方やその他のお遍路さんが入れないと話していた。どうも、閉門が早いとか商業主義であるとか、ご近所にも評判が芳しくないお寺さん、ということ。
私は県道179号東に4km走って少し南側の「かえるゲストハウス」に入ります。自動車修理工場屋さんが、民家改造でゲストハウスをやってみえて、部屋や設備はこぎれいで快適です。夕食にとご近所で見つけたお好み屋さんへ。カウンターで大将とやりとりしながら楽しいひとときでした。
4月21日
いよいよ終りが近づいてきました。コンビニで買っておいたサンドイッチなどで簡単な朝食を済ませ、7時少し前に出発です。今日もいい天気、先ずは瀬戸内海を展望する小高い丘、五色台の81番、82番をめざします。
西に戻って、五色台の西側の道、高松王越坂出線をめざします。
田園風景が広がります。朝からブロッコリーの収穫。1枚2~3反はある畑が数枚、全部で2ha位はありそうな農園。お兄さんに話を聞くと日本語が話せて、皆さん8人ともカンボジアからみえているとのこと。ご苦労さんです。Y農園に雇われて働いてみえるとのこと。日本の慣行農業を支えてくれていて、ありがたいことです。少し走ると同じくブロッコリー畑。今度は日本語は話せないようでしたが、ラオスから来られているとのこと。
ここから東に入るといよいよ五色台への長い登りです。
途中休憩所では、ゆかりの和歌の石塔がいくつか建っていました。(西行の山家集や保元の乱で流された崇徳上皇の歌碑など)
登っていくと四国大橋や讃岐平野など、素晴らしい眺めです。
ツツジも満開です。
手前で自転車を置いて81番白峯寺山門へ お山の緑も濃くなってきました
戻って自転車で五色台スカイラインのゆるやかなアップダウンを楽しみながら82番根香寺へ
立派な山門で、森もきれいです
五色台を駆け下りて振り返ります。
腹ごしらえで、有名な宮武うどんさんへ 地元の人で賑わってました。
冷やしうどん2人前を頂きます(^o^) 腰があり、とてもおいしかったです(^o^)
少し南に下って83番一宮寺、ハナミズキ、アジサイまで咲いてきて春が進んでいることを感じます。
台形の屋島が近づいてきました。
84番屋島寺の入り口。屋島の東側の縁から坂を登ります。
北側には源平の古戦場屋島の入り江が広がります。
屋島の台地に到着。うろうろしたかったですが、今日のお宿(87番の隣)で娘夫婦と18時に待ち合わせしているので、散歩は断念しお参りしてまた自転車に乗ります。
85番八栗寺はケーブルカーを利用させて頂きます。昭和レトロでいいですねえ。
山門も五剣山の岩壁も素晴らしいです。
86番志度寺は志度湾間近の平地のお寺。草木がうっそうと広がる珍しい境内です。
境内に隣接して平賀源内さんのお墓と記念館がありました。NHK大河ドラマ「べらぼう」で大活躍の源内さん、身近ですが今回の観覧は断念。https://hiragagennai.com/
ここから7km程南下し、87番長尾寺の横にある今日のお宿「結願の宿 ながお路」に丁度18時に到着。娘夫婦が既に着いていてくれました。明日の結願までがみえてきて感慨無量です。今日は五色台や屋島、五剣山などの景勝地のお寺で、しかも終盤に入って心経を唱えていても胸がいっぱいになることが何度もありました。最後のハイライトにふさわしいいいお遍路でした。
荷物を部屋に置いて、娘婿が運転する車に乗せてもらって、高松方面のお店に向かいます。
高松のチェーン店というお店「一鶴」で中華風ローストチキン(若鶏)を頂きました。娘(ドキンちゃんに似てると父は思っている)の「お父さん、痩せた?」の心遣いありがたい。その後はデザートでアイスクリーム。 その後宿まで送り届けてもらい、娘夫婦は自宅の福山まで帰っていきました。橋をわたって来てくれてありがとう! 楽しい夜でした。昼間、涙にむせびそうになったことも忘れていました。
4月22日
6時に起床、簡単な朝食を取り、6時半には朝の静かな87番長尾寺にお参りしました。
次はいよいよ88番大窪寺を目指します。
途中、前夜のお宿で少しお話しした歩き遍路の女性に追いつきました。普段ロードバイクに乗られるとのことで、しばし自転車談義。
途中の休憩、里山の雰囲気が新緑で素晴らしいです。
今回の自転車行の餞別として頂いた汗拭きタオル、ありがたいです。
自転車を降りることなく標高を上げ(約780m)、最後はゆるやかなアップダウンで余力を持って9時過ぎに88番大窪寺に到着。山中の穏やかなお寺さんでした。これまでの1番さんからの道のりが脳裏にうかんできて、静かな境内で今日は胸にこみ上げるというよりは、大変穏やかな気持ちです。ありがたいことです。
納経帳を持たないですが、自己申告で結願の証も授かってほっと一安心。良かったです。
まだ午前中早くでお参りは少なく、境内で休んでいると歩き遍路で埼玉からきて結願された方(たまたま同じ上田さん)とお参りの際のお札を交換をしました。突然終わってしまった、とおっしゃってました。またお遍路に出られるかも。私は今回で終わるかな? 部分的に歩きたい遍路道あるけど、大峰奥掛けや熊野古道まだなので、そちらが優先かな?
境内の外のお家の山吹、白い石楠花がきれいでした。
ここから1番札所を目指します。(南~東に約40km) 途中からは悪天の兆しの南東風の向かい風が強く結構大変でした。風が強いときは疲れも出てきて危ないので、歩道を走ります。
ようやく1番札所霊山寺に到着。昨年五月のスタートを思い出します。お礼のお参りをして、今日中に徳島港からのフェリーに間に合うかなと東に走ります。(約20km)
16:25の便に間に合い、和歌山港までのフェリーに乗り込みます。自転車そのまま載せられるのでありがたいです。18:40に和歌山港に着岸し、自転車で南海電鉄の和歌山新駅まで走ります。雨が少しだけパラパラでぎりぎりセーフ。駅で自転車を組み立てて、なんば行に乗り込み、近鉄の大阪難波駅に乗り換え(500m程担いで大変です)、22:03に奈良の最寄りの駅(五位堂)まで弟に迎えに来てもらい(雨の中、ありがたいことです)、無事帰宅できました。
9日間の自転車遍路、お疲れ様でした。自分と皆さんに感謝です。
昨年結願された群馬のTさんとは5月に高野山で一緒にお礼参りの予定。お会いできるのが楽しみです(^o^)
◆帰宅後奈良で詠んだ歌 ( )内はルビ
・自選の歌 (新聞紙誌に4/25に投稿・申請済み)
自転車(バイク)組み時雨降る中へんろみち 峠四つ越え宿入る夕(ゆうべ)
結願に大橋渡りて子ら来る 少しやせた?と気遣いうれし
次々と車追い越すへんろ坂 自転車こぐ足乳酸たまる
へんろ宿膳向かう人 愛妻(つま)逝きて 道後の温泉(ゆ)にて共汗流す
海の青 空のあを間を行く遍路 母のゆくもりそに見ゆるかな
浪しぶき足摺の岩砕け散る 若き日の父・吾もかくや
卯月中遍路の峠あられ舞う遠き高嶺も白帽子かぶる
小富士・池 讃岐平野の春へんろ 徒歩も車も自転車も佳し
遍路道毛虫幾十わたりおり 渡りきるまで彼のへんろみち
・その他の歌
南国に銀輪をこぐ傍らは早苗たなびき水温むかな
結願に声かけ合うは遠き人思いは如何帰路まだ遠し
結願し一番札所は懐かしき 何か変わった?今はわからぬ
結願におめでとうとの友の声 銀輪へんろこの後いかに
春四国彼の地の人も徒歩(とほ)へんろ あいさつ交わす思いはいかに
曇り雨晴れかと思えば霰舞う今日の遍路は猫の目天気
卯月中遍路の峠あられ舞う遠き高嶺に白帽子かぶる
へんろ出て大事なことと無事祈る 父子供らとはなむけ寄す人
へんろ道固まる手足サドル降り 女将の夕げ身にしみるなり
へんろ道固まる手足サドル降り 女将夕げと琴の調べも
へんろ宿女将のもてなしありがたし夕げ・みかん湯琴の音望外
へんろ宿精進料理はいにしえか 今はビーガン・ベジタリアンも
実家(いえ)はよし銀輪遍路春進み 名残は日焼け手・首ヒリヒリ
へんろ道銀輪またぎ実家(いえ)帰る 十日が過ぎて畑(はた)雑草(くさ)繁る
◆今回の決算(4/14~22 :円)
・宿泊費 43,300 (四泊が素泊まり、四泊が2食付)
・交通費 23,100 (行きは鉄道・新幹線・在来特急、帰りはフェリー・私鉄)
・外食費 20,800 (娘夫婦との会食含む)
・テイクアウト 8,000 (概算)
・薬品 2,600 (ロキソニン塗り薬、ビタミン剤)
・お土産 他 4,650 (自転車で手持ちのため制約あり、また最終日に時間がなく徳島で買えずに少額)
合計 102,450
お遍路費用でいうと、自転車遍路が交通費(行き帰りの本人の移動費のみ)、宿泊費(宿泊日数少ない)は、最も少額で実施できるように思います。体力を要し、ある程度危険が伴うのでそのバランスではあります。
◆お遍路中の天気 4/14~22の12時の地上天気図(気象庁 過去の天気図より)を載せます。
・4/14、15は日本海を東進する寒冷低気圧(この時期としては上空に強い寒気をともなった低気圧)の影響で、冷たい雨(時折の霰など)で大変不安定な天気でした。
・4/16~22はありがたいことに概ね高気圧に覆われて(4/20は四国南部や中国地方は少し天気崩れたけど、瀬戸内側の香川は雨天にはなりにくかった模様)、快晴~少々曇り位でお天気に恵まれました。
以上 記:上田歳彦(2025.5.3)