冬山 硫黄岳

【赤岳】2017.1.17(牧原)
【年月日】2016年12月29日~30日
【メンバー】河合R、西村、中村、牧原

赤岳鉱泉までの登山道は赤岳パーティーと一緒なので割愛。

昨年のこの時期は北八ヶ岳の天狗岳のピークハントをしていたが、雪も少なく、黒百合ヒュッテまでの登山道も下の土が見えていた記憶がある。
それに比べると、幾分か雪も積もっており、林道は往復する車に踏み固められアイスバーンになっている。下山時は足の踏み場に注意しないと足を取られるほどの氷が張っている。

硫黄岳は昨シーズンの苦い思い出がある。おそらく2016年2月の山行であった。
赤岳のピークハントを目的とし、2つのテントを担ぎ、大所帯で入山したが、その週末は西高東低の冬型配置で沖縄にも雪を降らした寒波が日本を覆っていた。

アタック当日は天気の状況を見て、赤岳から硫黄岳に変更した。比較的勾配の緩い稜線を歩いてピークを目指せるからだ。
-20℃を予想される中、硫黄岳のピークを目指して進んだが、赤岩ノ頭を過ぎ、稜線に入ったところで雪、風に吹き付けられた。手足の感覚がなくなってきて、ゴーグルも結露、凍結をし、視界が限定されるなか、前方の仲間から離れないように必死にこらえていたが、ピークの手前で「降りる、下山する。」と浅田さんの判断で下山することになった。
それが自分のファースト硫黄岳。厳しい冬山を身体で感じた。

赤岩ノ頭にて。昨年の様子。

そして、今回も赤岳を目指していたが自分のミスで不意に硫黄岳へのリベンジ登山へ変わることとなった。

自分は赤岳鉱泉に向かう途中の何も障害物のないところで左足を捻挫した。すでに足首は何度もくじいているから我慢できるかと思っていたが、今回の捻挫はなかなか痛みが治まらなかったため、早朝に「テント番をします。」といったところ、河合さんから「硫黄岳にいこう、ここまできたんだから。テント番じゃもったいないよ。」といっていただき、硫黄岳へ変更することにした。

硫黄岳に向かうのは、河合R、西村さん、中村さん、牧原の4人。当初は浅田さんと西村さん、中村さんの3人パーティーであったが、浅田さんが残念ながら体調不良のため、河合さんがリーダーとなって私たちを支えてくれた。

赤岳鉱泉から樹林帯に入り、大同心沢を越え、ジョウゴ沢を越え、赤岩ノ頭までは尾根沿いをジグザグに歩き、高度を上げていく。ジョウゴ沢はアイスクライミングができる氷瀑があるのでいつか見てみたい。
天気は出発当初から一貫して曇っている。昨年ほどの寒さはなかったし、樹林帯は風もなく静かであったが、稜線にでれば強風が吹き荒れると分かっていたので、少し緊張もしていた。
ほどなくして、赤岩ノ頭の下部まで来た。去年はここから低温、風、雪に見舞われて、最終的には撤退することとなった。稜線ではゴーグルをつける。稜線にでる準備をしていたら、待望の青空が見えてきた。昨年は見られなかったピークもここから見える。昨年撤退した箇所はピークのほんの手前ということも、そこで改めて理解できた。
ピークまでは勾配はきつくないが、やはり冬山らしい風が吹き付ける。途中、中村さんのゴーグルの中が凍結するアクシデントもあったが、一歩ずつ上を目指す。ナイフリッジのように切れ落ちている箇所もなく、岩場の合間を縫っていけば、危険な箇所は少ない。歩けば歩くほど雲がなくなり、真っ青な空となっていく。こんな真っ青な青空はみたことなかった。

明朝に準備。

樹林帯の中にて。

歩く。

赤岩ノ頭からピークを望む。

 

稜線に風が吹き付ける。

気がつくと、ピークについていた。硫黄岳の山頂は予想以上に平らになっている。そしてさらに驚いたのが山頂のほうが穏やかであったことだ。無風に近い。硫黄岳から稜線伝いで赤岳がみえる。赤岳パーティーはこちらのパーティーよりも1時間早く出発したから、同じ頃に登頂したかもしれないなどと話しながら、山頂での時間を楽しむ。

山頂にて西村さん。

 

硫黄岳登頂。

赤岳をバックに。

あらかた写真撮影や山頂からの景色を楽しんだのち、名残惜しみながらもピークを後にすることにする。下山する際には天気も快晴となり、風も幾分か落ち着いているように思えた。

心が落ち着くと、いままで見れてなかったことまで見えてくる。雪をまとった木の枝は珊瑚のようだし、吹き上げられた雪に太陽の光が反射して、ホワイトダストも本当にきれい。

珊瑚のよう。

赤岳、阿弥陀岳

快晴ナリ。

赤岳鉱泉まで戻った後、赤岳パーティーとも合流し、互いの無事と登頂達成を喜んだ。テントをたたみ、美濃戸口まで下山をし、今年の登り納めとなった。

赤岳鉱泉に戻る。

テント場

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