★山行名 【抜戸岳南尾根】
★年月日 【2001年 1月 4日~7日】
★メンバー【宮尾・河合・福地】
11月下旬、実家からの帰りの電車で冬合宿にどこかいいところはないかと思い巡らせ
ていると岳人の昔の記録をふと思い出した。帰豊して書物を確認する。日本登山大系に
『途中に穴毛槍など大小10ほどの尖峰と岩壁帯をもつ、手ごたえのある長い尾根』と
あり挑戦してみようと思い立った。
1/3
河合君とは恵那で、福地君とは飛騨萩原駅での待ち合わせ。帰省ラッシュが始まりだし
大阪と名古屋付近で渋滞に巻き込まれ50分遅れてしまった。高山から雪道だったがス
タットレスのため問題なし。栃尾温泉に近い露天風呂の駐車場でテントを張る。夜中の
2時頃しんしんと雪が降りしきる中、テントを張り終わると『ここで風呂が入れるので
すか』と聞いてくる物好きな輩も現れ、馬鹿な奴だと思いつつも「このくそ寒いのに裸
になるつもりか」との思いを込めて一応返事はしてやった。世の中いろんな奴がいる。
河合家の手作りスパサラダと鳥の唐揚げが登場し、酒盛りとなる。晴ちゃん、いつもあ
りがとう。
1/4 雪(終日)
起床8時半。お正月気分でついゆっくりになる。テントを出ると、また10センチほど
積もっている。10時半、計画書を出し新穂高の駐車場を出発する。林道にトレースは
なく、12時前に南尾根の取り付きに到着する。
堰堤の脇の崖をアイゼンを利かせて20mほど登ると藪に突入した。雪をがぶっている
が踏むと木の枝に乗っかったり、踏み込んで股まで落ち込むありさまだ。あるものは何
でもつかめ、ガンガン乗っかれという感じで3時50分まで全ピッチでこのようなラッ
セルを続けた。木の皮は我々のアイゼンではげはげになっていた。標高は、1560m
付近、視界はほとんど利かない。取り付きが1340mなので、わずか200mほどし
か登っていないことになる。整地を済ませてテントを張り、水作りを始めるとすぐ暗く
なった。夕食は、すき焼き。うまい。
穴毛谷出合いは風が強かったが、尾根上はほとんど風がない。静かな夜だった。
1/5 雪(終日)
起床6時半。また寝坊してしまった。お正月気分はまだ抜けてないみたいだ。8時30
分発。今日は、半分ぐらいはまともなラッセル。でも、胸までの雪に思いのほかはかど
らない。11時頃稜線っぽいところに出るが所々岩があるため巻いて進む。11時50
分、短いが壁になったのでロープを出す。河合君が空荷でリードし、あとに続く。
20Kg超のザックを背負っては結構つらい。ここに約1時間かかり、また稜線へ出るが
数mのクレバスが走っていたのできのこ雪に乗っかり偵察する。20mほど下降しまた
次のピークに登りというのがわかった。しかしその登りも相当高度差がありテン場は見
当たらない。天候も悪く時間のかかるラッセルが予想されるため2時50分と早かった
が打ち切ることにした。1991年の岳人の記録でも打ちきりの時間が早かったが、理
由がわかった。今日の行動で、正月休みの腹にたまった重い感じがようやく取れてきた。
これからというところだが、現在の高度が1750m付近で一日に200mの高度しか
稼げず失望の色が濃い。
しんしんと雪が降っているが、風がなく静かな夜だった。
1/6 ガスのち晴れ
このままのペースだと到底尾根を登り切れないし、同ルート下降にしてもこれ以上進むと
ロープを出す個所が頻繁になることが予想されるため下山することにした。しかし、降り
ようとすると晴れてくる。いつものパターンとはいえ、何でこうなるのか?
一日目のテン場まで1.5時間。取り付きまでも1.5時間だった。12時頃下降を完了。
もう少し山を楽しみたかったので、林道付近で幕営することにした。敗退といえばそうな
のだが当初の状態は悪かったので今回はあきらめといったところだろう。テントの中でも、
たわいもない別の話で持ちきりだった。夜、河合君の携帯電話で内の会の伊藤さん・彦さ
ん・岩瀬さんと連絡が取れ我々には救助要請がなかったことや北アで49人閉じ込められ
ていた事実を知った。今日はヘリも飛んでおり沢山の人がピックアップされたに違いない。
1/7 晴れ
谷間のせいか冷え込んで-17℃。3人とも夜中足が凍えてしまった。
新穂高温泉まで30分。下山届を済ませ、福地温泉に向かう。田項家という宿だったが、
気持ちのいい風呂にだった。何故か、みやげ物売り場もバス停までの道路もやたらとアベ
ックがうろうろしていて目についた。河合君も同じようなことをぼやいている。その後板
蔵ラーメンに寄り新聞を見て驚く。知っている人は誰もいなかったが、なんと遭難者の多
いことか。どうも今回は、我々にとっても初めから無理な山行だったようだ。次は、いい
ことを祈って雨の豊川に帰る。
- 記・宮尾-