ヒマラヤ遠征、アンナプルナⅠ峰(8091m)

★山行名 【ヒマラヤ遠征、アンナプルナⅠ峰(8091m)】
★年月日 【2000年9月9日~10月10日】
★メンバー【愛知山岳連盟アンナプルナ遠征隊 豊川山岳会:鷲見(医療担当)】

2年程前、ヒマラヤ登山に行きたいと思い、下見として、アンナプルナ内院にトレッキング
に行き、行くチャンスはないかと思っている矢先に愛知山岳連盟でアンナプルナⅠ峰に行
くと言う話が舞い込んできた。
危険度を考えるとかなり躊躇したが、これを逃すとまずはチャンスはないだろうと申し込
む事にした。
2年間の準備期間があり、いつもの体力トレーニングと、したことがなかった氷の技術、
また、高所順応の為に出発前に富士山に7回も行ってヒマラヤに臨んだ。

9/9に出発。小林さんに送ってもらう。今回はシンガポールエアーラインで、スチュワーデ
スがきれいで有名なところでなかなか楽しみ。ひひひ! 
案の定、きれいな人がいて、(たしか熊谷さん)滝根さんなどは、一生をかけてもいいなど
といっていた。山はどうするんだろう?
カとマンドウへ到着し、ヘリコプターにつめ込む荷物をチェックし、計量を始めるが、
600kgのオーバーで荷を降ろす羽目になる。あまり影響のなさそうな米、ヶロシンなどを
降ろし、事無きを得る。でも、計画通りだと、後半戦で足らなくなりそう。
次の日、フライトをするが、どうも天候が悪く、ポカラで足止めを食らう。
前に、シュルジェハウスという、1泊50ルピーの宿に泊まった覚えがあったのでそこに
泊まることにする。ここは、歌手の平尾明さんの甥っ子がネパールのシュルジェ(太陽
の意味)という人と結婚し、ここのロッジを始めたもので、日本食が食べれて、日本
の情報が入ってしかも安いというので、日本人のたまり場になっていて、とてもよろしい。
以前私が泊まったのを覚えていたようで、まだ、シーズン前で人もすくなくゆっくりさせ
てもらう。
次の日は朝6時にフライトで、アンナプルナベースキャンプへ向かうがその前にリエゾン
オフィサーのギリとロシアンヘリのパイロットとのトラブル。
詰まらん意地をはったせいで、出発が遅れたとパイロットに詰め寄られ、一筆書かされ、
涙をながしていた。
しかし、ギリはベースキャンプに残らなくてはならないのに、そのまま帰ってしまった。
困った奴だ。そういえば、ポカラでも電話がかかってきて、どこかへ行ってしまったが、
電話を受けたおばさんに聞くと女からだったらしい。この、リエゾンオフィサーのなりと
態度を見ていると、最終的にはざまあみろという気持ちになってしまった。
ベースキャンプに到着すると、みんなから歓迎をうける。どうもキャラバンは雨でたいへ
んだったらしい。今日が久々の晴天だったらしく、衣類をむしぼしにしていた。
向かいには、崩れ落ちる氷河が見えていて、1時間おきに雪崩れていて、こんなところ
どうやって登るんだろうと思ってしまった。
9/13今日から登山活動開始かと思いきや、キャンプ開きの儀式の為、プジョウを作り、お
祈りをし、酒を飲んでゆっくりしてしまった。滝根さんなどは、少しだけのつもりで出し
た焼酎をすべて飲まれてしまい、顔には出さないが、とっても悲しそうであった。
9/14先ずはC1までのピストン。サーダードルチェがルートを作ってくれる。
ドルチェが降りてきて、頭が痛いというので、水をたくさん取ったら好いよというと、タ
バコが吸いたいといっていた。おもろいやつだ。
石川さんのみ、C1まで行き、私達はその手前にデポをして帰る。
9/15滝根、桑原、角野そして私がレスト、どうも頭痛がする。ヘリではいっているから
ゆっくりしたほうがいいようだ。
羊を解体して、心臓をいためて食わしてくれた。少し臭いが美味。横では、羊の生首に包
丁を叩き込み、脳みそをとっていた。これも美味らしいが、こちらにはまわってこなかっ
た。セェルパ達でたべてしまったようだ。
9/16今日もレストでゆっくり。まだまだ動かないほうがいいようだ。
昼から雨で、ゆっくりして正解だった。
9/17今日より、登山活動開始でC1までゆくが、C1から見えるアンナプルナは圧巻であり
これを見れただけでも幸せと思った。ただ、写真を撮る段階になって思ったが、被写体と
しては、でかいのにだらっとした山でまた、北面という事もありうまく撮れる感じではな
いようである。心拍数の安定している、石川、佐藤両氏はステイし他の隊員はベースまで
降りる。
9/18医療担当の私は、薬を持ってC1へでかける。滝根、角野、私で気合を入れながら
ゆっくり登り、昼前に到着する。石川、佐藤でC2の偵察へ行っているようである。
夜は滝根氏と眠るが、滝根さんは妙に気合がはいっている。
9/19C2へ向かうが、調子が悪いので、私は引き返してきて、石川、角野、真田と一緒に
ベースへ下る。佐藤君が先に降りて、ロープの補修をしていたので、少し手伝ってから下
だる。
9/20今日も調子が悪くレスト。
9/21今日は上も下も全休。
9/22中平等さんも含め、みんな上に上がるが、私だけ調子が悪く、ベースでレスト。
調子が悪いと言いながら、昼にパタムが作ってくれたオムライスとサラダがうまくて全部
食ってしまう。夜もすぐに眠ったが、朝三時頃に目をさまし小便をしていると、空は晴天
なのにC1から上のあたりに雪雲が発生して、下に降りてくる。そしてあっという間にベー
スキャンプも雪雲に覆われてしまい、サムサムと言いながらすぐに眠ってしまった。
9/23モーニングティーを飲んだあと、6時半に交信をすると、C2がつぶされ、今、地獄か
ら交信しとりますと言う滝根さんの交信が入ってくる。
誰も死なず、軽い怪我程度で胸をなでおろす。
テントが使い物にならないので、女性用のテントを上げてくれと頼まれるが、パタムがお
○こテントと言って喜んでいた。コーヒーを飲み、雪が少し積もっているので、解けてか
らでかけた。調子をできるだけよくしたいので、できるだけゆっくり登る。
9/24今日は、C2までピストン、石川、佐藤、真田、角野そして私。C4用のテントの荷揚
げで終わる。今日は調子は上々。私が1番遅れているので、がんばらねば。
9/25今日もピストン。サーダードルチェと、滝根、私で登るがなかなか出発せず。出発前
に飲んだミルクティーを吐いてしまう。調子がまた悪くなりだしているようだ。
下山途中BCから登ってくる永田氏に会うが、調子がよさそうである。うらやましい。
9/26真田、角野、私でC2へ向かうが、非常に調子が悪い。10歩歩いてはあはあ、ぜいぜ
いである。途中、朝、荷上げをしたポーターに出会うが、愛想をふりまく元気もない。
到着して、真田さんのくれた安倍川餅がとてもおいしい。晩はとろろ汁に高野豆腐でなん
か妙にうれしいが、あまりたべれない。
夜はミーティングがあり、アタック隊の発表である。1次が石川、滝根、永田で、2次が
佐藤、真田、3次が角野、鷲見で、桑原、筒井はちょっと未定ということであった。
今日までの私の調子から言うと、3次でけっこうで登れないのではという不安の方が大き
い。角野さんが体の調子がいいので1次もしくは2次にいれてくれと主張していた。
9時に就寝したが妙に疲れている。
9/27朝、6時に起きたが、体がだるい。4日動いたが日に日に体の調子は悪くなる一方で
あった。今日はレストだが、石川さんから下れという命令である。筒井君も調子が悪そう
で一緒に下ることになる。他の隊員はダッチリブのザイルの回収に行き、その右側の5年
前のフランス隊のルートを作り始めた。下りはゆっくりゆっくり降りて、C1に着く。
キッチンドルチェが、寒いからここで眠れとキッチンテントで眠ることにする。
ドルチェの作ってくれた、フライドライスがおいしかった。
しかし、夜中のドルチェの歯軋りはすごかった。
9/28朝チャパティは食べれるが、ラーメンは食べれない。抗生物質のフロモックスを取り、
うがいを1時間おきにするように心がける。よく水分をとり、読書をするが、安静時の脈
拍が90前後ある。しばらく様子をみよう。
9/29非常にひま。焼き物文化史を最後まで完読してしまうが、よくなる傾向はない。
少し、下痢ぎみになってくる。C2からC3に登っているのが良く見える。
9/30下痢になった、とキッチンドルチェに言うと下ったほうがいいというので下ることに
する。おじいさんポーターが来て、一緒にゆっくり下るが、雪が降って積もってきて寒い。
夜は中平良氏とゆっくり夕食を食べ過ごす。
10/1朝は好い天気だが少し寒い。少し体調はましになったようだ。寝袋を干し、裏へハイ
キング。中平良さんはこの角度から夕暮れのアンナプルナを撮りたいと言っていた。(結局
毎日夕暮れは天気が悪く実現せず)昼はよく動いたせいで、良く食べれる。近くに鹿の群
れが来ていた。麝香鹿らしい。
10/2朝また、調子が悪い。昼から2時間以上の昼寝でやっと元気になる。石川、滝根、サ
ーダードルチェはC3に泊まっている様だ。
今日、ポーター4人と滝根さんとK2に登ったテンパ、ドルチェは解雇になった。
かなりの戦力ダウンである。
中平良さんと話しをして、これだけ危険な山だから、だれか、1人、2人登っておしまいに
してほしいというので、意見が一致した。
8時に就寝して、明日はC1へ向かうぞ。
10/3ゆっくりC1へ向かう。やはり調子が悪く、2時ぐらいに到着する。
C1には、なぜかサーダー以外のクライミングシェルパが集まっていていろいろ話しを聞く。
石川さんに上まで行くように言われたが、命の危険があるからいやだといっていた。夢の
お告げでも登るなとでたらしい。みんなカトマンズに帰りたいと言っていた。10/9から祭
りがあるのでその影響もあるのかなと思ってしまう。
しばらくするとサーダーのドルチェも帰ってきた。かなり疲れた様子。6500mのC3から   
200m上がってきてそこから帰ってきた様子。2時間待ってやっと石川、滝根が登ってきた
ので、そのままここまで降りてきたらしい。指先が凍傷になっていたのでユベラ軟膏をわ
たす。
石川さんの定期交信では6750mかせいだと言っていたが、ドルチェが下ったあと50mしか
登れてないことになる。C2とC3の交信では、うまく噛み合ってない様子で、明日は、石
川、滝根はC2へ下る様だ。
サーダードルチェが言うには、ダッチリブに固執しなければ昨日までにはルートができて
いて、今日は登頂日だといっていた。登頂に関してはシェルパ達がNo Possibleだといって
いた。
10/4みんなC2まで上がって来いとの石川さんの要請。サーダー、シェルパとも昼過ぎか
ら登る。私も出発するがすぐに下痢になってしまい諦めて戻る。やはり体調不良だ。
上では日本人8人とシェルパとで話しが行なわれているはずだ。その内容はよくわからな
い。
10/5朝、7時半ごろ石川さんより無線が入る。重大発表ということなので、なんだろうと
思っていると、アンナプルナ登山を終了するということだった。ベースの中平良さんと連
絡をとり、10/10などのヘリコプターの要請などを行なう。結局私はC2までしか登れなか
った。今日、C2まで行こうと思っていたが、C2より滝根さんが降りてくる。
うだうだ話しをしていると、行きそびれてしまい、私の秘蔵の日本酒を飲み、うだうだし
てしまう。
10/69時過ぎに滝根さんと一緒にC2へ向かう。かなりゆっくりで、3時間ちょっとかかる。
やはり私は調子が悪い。安倍川餅やらラーメンを食べ、デポしていたカメラでやっと写真
が撮れる。真田さんは雪目になり大変らしい。みんな疲れていて、特にいつも温厚な永田
さんが怒りっぽい。まあ、しかたがないか。自分の荷物を持ち、C1まで下る。明日は私の
誕生日なので、BCで祝ってくれるらしい。また、BCからの交信では、フランス隊が到
着したらしい。
10/7朝9時にはフランス隊のポーフィーと言う奴が1人で上がってきた。C2まで行って
ルートの確認をするようだ。この時点ではジャーマンルートをやるらしい。
しかし、昨日きて、今日C2まで偵察するのには、恐れ入る。また、データーも豊富で
鎌氷河の拡大写真や、ルートの詳細をもっていた。私達はベースキャンプまで降り、
誕生会プラスご苦労さん会をして、へべれけに酔ってしまった。
10/8二日酔いである。昨晩のみ過ぎて、どこかでで倒れていたらしく、キッチンドルチェ
に助けてもらったらしい。なごりをおしみつつのんびり過ごす。
10/9明日のヘリコプターの為に、荷物をかたずけ、頭を洗ってすっきり。
10/10へりでポカラへ向かう、久しぶりの下界であったが、時間が余ったので、後半戦永田、
佐藤組と組んで、エベレスト街道のコンデリという6000mの山にいくことになった。

総括
今回、自分の体調不良で全く役に立たなかったのは、私の不徳のいたすところでおおいに
反省するところであります。半年、1年まえから筋力トレーニングをやめ、体の負担をへ
らすべきだったと思います。また、今回の失敗で高所に対する自信が全くなくなってしま
いました。
しかし、ヒマラヤにきて、8000mの山を感じ、ネパールの文化を感じ、そして、よき
仲間に出会えたことは私の人生において至福のときだったとおもいます。
みなさんありがとうございました。
                                    押忍

―記:鷲見―

この記事を書いた人

愛知県豊川市に拠点をおき、奥三河の山々をホームゲレンデに、四季のアルプスのピークハント、縦走、ロッククライミングから沢登りとオールラウンドな山登りをしています。
インスタ、フェースブック フォローしてください!

目次