★山行名 【ヒマラヤ遠征番外編、コンデリ(6011m)登頂記録】
★年月日 【2000年10月15日~10月21日】
★メンバー【鷲見、佐藤理雄(春日井山岳会)、永田昌美(春日井山岳会)】
アンナプルナ遠征が失敗に終わり、暇なので、ぶらぶらカンボジアにでも遊びに行こう
と思っていたら、永田、佐藤ペアでエベレスト街道にあるコンデリに行くらしい。
私も仲間に入れてもらうことにする。
そのむかし、20年ほど前に春日井の若手クライマーの藤井、熊沢が、コンデリの北面
のクライミングに挑み、墜死したらしく、佐藤君としては、追悼登山として、頂上に立
とうと言う考えであった。
コスモトレックに顔を出し、ライトエクスぺディションのフィー300ドルを払い、クラ
イミングシェルパとして、アンナプルナでよく働いてくれたキッチンシェルパのドルチ
ェをお願いする。
ドルチェも、クライミングシェルパとして、アブダムラムやアイランドピークに十数回
登っており、また、日本語も堪能なので非常に有能である。
アンナプルナで残った経費を7万円ずつバックしてくれたので、合計21万円を集めて、
言い出しっぺの佐藤君を隊長に、食べ放題、飲み放題、やり放題?の隊を結成する。
10/15
朝早く起きだし、石川さん以下みんなが見送りにきてくれる。弁当を受け取り、空港へ
向かう。1ヶ月前にはアンナプルナに入る為に来たが、今回はエベレスト方面である。
タックスとオーバーチャージ分を払って出発する。
飛行機は、20人乗りのプロペラ機で妙に古い。ルクラへは20分ぐらいで到着するが、
滑走路が砂利なのにはびっくり。
今日はここにステイし、昼飯には近くのパン屋でピザを食べ、ラッシーを飲む。パン屋
のピザはとってもおいしかった。
荷物運びの為にヤクと牛をかけあわせたゾッキョという動物がいたが、牛とヤクはおと
なしいのに、こいつは獰猛そうで、角が前に向かってはえている。私が近ずくと、ふー
ふーと鼻息荒く怒っていた。
夜は、ビールにヤクのステーキ(ゾッキョではなくてヤク?)で、よくたたいて、しょ
うがをきかしてあり、おいしく食べれた。
また、トンバというひえを発酵させて、それにお湯をかけて飲むアルコール飲料も、体
があたたまり、とっても体によさそうである。
まだ疲れているのか8時過ぎには眠ってしまった。
10/16
朝めしにおかゆを食べ出発。ポーターに15歳の少年を2人雇ったが、体が細く、体力
がなさそう。案の定エベレスト街道を、ガートまで20分歩いては30分休憩の繰り返
しである。左前方にはヌプラが見え十分美しい。バッティーで昼飯をたべ、コンデリ方
面の道を進み、川をわたって、坂を登りはじめる。
牛糞のたくさん落ちている道を登ってゆき、3000m手前ぐらいのところでテントを張
るが、水がない。こんな所に水なんかあるのかと疑っていたが少し離れたところに発見
して事なきをえた。
向かいにはタムセルクが優美な姿を見せているが、ライトエクスペディションで登れる
山にしては手ごわそうである。
10/17
6時過ぎに起床。7時15分には出発するが、また急登の連続で、石楠花の木がたくさ
ん生えている。景色を楽しみながら歩くが4300mの峠まで6時間以上かかる。ポータ
ーをせきたてて急ぐ。右手には、エベレストからローツェが見え、生のエベレストだと
はしゃいでしまった。(通称生エベ)
峠から川まで下り、川沿いを上流に行けばタルチョがあり、そこが今日のテント場だが、
左手に6000mぐらいの懸垂氷河をいっぱいたずさえたどでかい山があり大迫力。自然
はすごい。
上からシェルパが何人か降りてくる。ベースキャンプには日本人パーティーがいるらし
い。
10/18
川沿いを歩き、左手に滝を見ながら、岩盤の上を歩いて、1時半に、ベースキャンプへ
到着する。ここで4800mの高さであり、先行している日本人パーティーのテントがは
ってある。車山にアンナプルナロッジというペンションを経営している加納さんが隊長
であるが、3人のうち2人が高山病でダウンしている。私たちは、8000mの残党なの
で問題ないようだ。
最初、目の前に見えるとがった山がコンデリかと思ったらそうではなく、右側のべった
りした山らしい。明日5200のC1まで行き、あさってはアタックだ。
10/19
今日はC1まで。4800mから5200mまで登っていく。氷河湖が2つあり、その間をぬ
ってコンデリの取つきに到着するが、後1日でほんとうに登れるのかと思ってしまう。
下から見たときはべったりしていたが、ここから見ると、ごろごろと岩がころがり、そ
の先に岩稜が左の方へ伸びあがっている。
しかし、ドルチェと加納さんのサーダーは2人でルートを作ってくると出かけてしまっ
た。私たちは、そこでゆっくり休憩し、氷河湖と向かいの山群をながめるが、気の遠く
なる程美しい。そうこうしているうちに、永田さんがコスモトレックでもらった参考資
料をみて、コンデリはこの山ではなく、あちらのとがった山だと言い出した。確かに、
その日本人のメモの山はあちらのようである。
ドルチェが降りてきて尋ねると、これでいいといっている。どうしてもあちらの山に登
りたいのなら明日またルートを作ると言ってくれたが、そんな時間はない。こちらの山
にする。
夕方、雪がぱらついてきた。明日の晴天を願って眠りにつくが、高所なのでなかなか眠
れない。
10/20
4時に起きるがもたもたして、6時過ぎに出発。がらがらのモレーン帯を200mほど登
り、3級ぐらいの岩を登り始める。フィックスがある程度してあり、ユマーリングで登
る。左に間違えたルートがあったが、右へ左へ300m程岩稜帯を登り、雪稜が出てくる。
ここでアイゼンを着けて登るが、カジタのアイゼンのスノープレートがめくれて変。
また、雪がぐずぐずなのでよくすべる。
めくれたスノープレートを無理にはずして事なきを得る。
(帰国してからカジタにクレームとして出したが、今までそんなクレームは無かったと
の事。高所靴との相性が悪くて、雪がスノープレートを押し出したようだ。6000m直
下でのことで少しあせった。)
しかし、すべりでもしたらまずは助からないだろう。
この雪稜を250mぐらい登り、11時に到着する。ラジオアンテナもあるのでこれが頂
上だろう。
向こうにエベレスト、ローツェ、マカルーが見え、ちょうど5000m以下が雲に覆われ、
ぽっかり浮かぶ島のようである。なによりも登頂できてよかった。
死んだ2人の冥福を祈ってから下る。下りはあぶないので、スタカットで150m程下り、
あとは駆け足である。足はよれているが、C1へ向かいテントを撤収し、3時半にはベ
ースキャンプへ。加納さんが出迎えてくれて喜んでくれた。
加納さんの隊は調子の悪い人がいてそのまま帰るかもしれないので、食事でもどうかと
誘われる。今晩はごちそうになれそうである。
10/21~
今日はさっさと下山し残った日数でナムチェバザールへ行こうと考えている。
ガートまで一気に下り、4時過ぎには到着。祝杯をあげ、地酒のチャンをたらふく飲む。
この先、チャンは私の好物になってしまい、帰国まで朝帰りの毎日であった。
(総括)
アンナプルナが中途半端に終わり、どうしようかと思っているときに6000mのライト
エクスペディションがあり、5日目には登頂もでき、満足のいくものだった。
やはり、登頂しないとおもしろくないものだなあと、実感する。
今回一緒に登らしてくれた春日井山岳会の永田、佐藤氏に感謝するとともに、20年前
に亡くなった、藤井、熊沢氏の導きであり、謝意を表すると共に冥福を祈りたい。
押忍、
―記:鷲見―